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被災地支援2

先日、近江八幡市にある尾賀商店内の、クラフトショップ咲楽さんに納品に行きました。

福島のギャラリーひと粒さんで、咲楽さんが展覧会をされると知り、
私も参加させて欲しいと申しでました。

8月には、一汁一菜の器プロジェクトで、被災地に送る器のロクロ引きのボランティアをしましたが
それからも、何か出来る事はないかと、日々悶々としていたところ
咲楽さんの企画を知り飛びつきました。

しかし、
ん?
私の作品を、福島で売って、何か復興支援になるのか?
っという疑問が...。

価格をいつもよりおさえて、私の取り分もおさえて...。
いやいや、私の取り分は、なしにして...。
う~ん。
それで、いいのか?
価格おさえたら、ギャラリーさんの取り分が減るやん。
私の取り分無しにして、支援活動続くの?

またまた、負のスパイラルに。

結局、価格を少しだけおさえ、私の取り分もおさえ
一点だけ、チャリティ作品を入れました。

それでも、何となくモヤモヤしていたので、
思いきって咲楽さんに、このやり方で支援になりますか?
っと打ち明けると、
「売る、売れるという事ではなく、こちらの作家作品を持って行き、
 それを観にギャラリーひと粒さんに人が集まる。それだけでも、支援になりますよ。」
っと、おっしゃいました。
なるほど。
なっとく。

そうですね。

それから、ギャラリーひと粒さんは、福島県の会津若松にあり、日野町とは姉妹都市です。

なぜか。
むか~し、昔、蒲生氏郷(がもううじさと)と言う戦国武将がおりまして
幼少の頃は、織田信長の人質だったのですが
あまりにも頭がキレると言う事で、家来になり、大河ドラマにもちょいちょい登場する人物が、
日野町にいたのです!
その人物が、日野から会津藩に移動しました。

といういきさつから、今も交流がある訳です。

で、日野から会津へ移る時、当時、日野椀という木の椀が盛んに作られていまして
この日野椀職人も、一緒に会津藩へ連れて行きました。
これが、会津塗の始まりです。

今でも、会津塗をされているところへ行き
日野から来ました、と言うと歓迎されるとか。

で、日野椀は現代では、すっかり絶えてしまっていたのですが
10数年前に、日野町の木工作家の北川さんが、復活されました。

あっ!

日野椀も、ギャラリーひと粒さんに持って行ったら
面白い!

咲楽さんも、北川さんも、快諾して早速動いてくださいました!!!

ギャラリーひと粒さんに、
沢山の人が集い、いろんな話に花咲かせ
楽しいひと時を過ごされることを願っています。

咲楽さんだけに、ね。

ありがとうございました。


17日から始まった、西武大津店での販売が昨日、無事終わりました。

途中、いろいろとトラブルはありましたが、お客様に飛び火する事も、
無く、良かったです。

何度も来ていただいた方や、多くの方にかけていただいた言葉は、
大変嬉しく、Powerをいただきました。

もっと、もっと、多くの方に食べていただける様に、努力ですね。

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私の後ろは、大分産乾燥しいたけ詰め放題!!!。

椎茸の匂いが凄かったです。

けい


おとうさんは、きのうせいぶひゃっかてんに いって だいちどうのぱんをうりにいきました。
あさはやくにおきて くるまにのってせいぶひゃっかてんにいきました。
おかあさんと おとうさんはとちゅうこうたいして こんどはおかあさんになりました。 

ひろせけいとひろせこうたろうは はじめはおばあちゃんちにいたけど 
おばあちゃんちでおひるごはんは えびびらふをたべたら 
けいは とくたにのおじいちゃんにむかえにきてもらって 
ぷーるにいきました
こうたろうはおかあさんがきて こうたろうをせいぶひゃっかてんにつれていきました。       

わたしは おばあちゃんちで ばんごはんをたべました。

おさしみをたべました。おとうさんがむかえにきてくれました。
くるまにのると こうたろうがねていました。 こうたろういいなとおもいました。