じんじんのブログ -9ページ目

日本国籍を取れず


娘が産まれたのは暑い暑い2月。翌々日に退院後、

暑さと産後の縫ったところの痛みと胸がパンパン石のように張って、

DORORIDOな日々が続いていました。


帰宅後、即家事が待っていました。

それから授乳、こちらは右をあげれば左もポタポタ、余って売れるほど出ていたので

難なく、とにかく胸が張って痛い。


あと、夜通しで眠れないので常に眠かったのを覚えています。

相変わらず車もなく、電話もなくネットもなく、隔離された世界で

毎日授乳とおむつ替えと家事。

そして予防接種の嵐。


CARTORIOでCERTIDAO DE NASCIMENTOを作り、

3月に婚姻届を出し、領事館にも婚姻届を出し、受理されました。


ところが、大事な出生届をいつまでに出せばよいか、ということを全く知らず、

日々の忙しさに追われ、再び領事館に出向いたときは、娘が生まれてから3ヶ月以上経過していました。


それで、日本国籍が取れませんでした。

この12年の間に2回帰国しましたが、そのたびにビザを取らねばならず、

日本での身元保証人による招聘状、経済力を保証するための

源泉徴収書や在職証明書などをお願いして取り寄せなければなりません。


これはほんとに不便です。 とても後悔したので、

二人目の時は、生まれる前から郵送で出生届を取り寄せておき、

出生後、郵送で届出をしました。

交通の便が悪かったり、領事館から遠い方はこういう方法もあります。


そういうわけで、長女はブラジレイラ、次女は二重国籍です。






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市内観光気分で。




今朝のサンパウロ 霞んでいます。

我が家からサンパウロ中心部まで、バスや地下鉄を乗り継いで3時間くらいかかります。



じんじんのブログ-SÃO PAULO


手続き関係のモヤモヤはさておいて、

なかなかサンパウロ中心部を歩くこともないので

ちょっと余った時間に散歩してきました。




じんじんのブログ-CATEDRAL DA SÉ

おもいっきり旅行者気分。こんなとこに来たのって11年ぶりくらいかな。




じんじんのブログ-TEATRO MUNICIPAL??





じんじんのブログ-LIBERDADE


リベルダージに足を伸ばし、半年ぶりにキッコーマンしょうゆを手に入れるつもりでしたが

どの店も日本からの醤油は一切なかったのでした。

(震災、放射能の影響で港で止められたままらしい) 残念。




でも、こんないいものをGET.


じんじんのブログ-GET


前から見たかったJINの続き、アリエッティ、

ワンピースの漫画はポ語版、娘が好きなので、

読書用に格安で手に入れました。





これはSE駅


じんじんのブログ-ESTAÇÃO SÉ


今日の良かったこと。


何故か今日は地下鉄の駅で二人の方に助けを求められました。

はじめは杖をついてゆーっくり進んでいたおじいさん、

おい、ちょっと手伝ってくれー、左側を支えて欲しい、

BARRAFUNDAはどっちかのぅ?

と聞かれたので乗り場行きのエスカレーターまで腕を組んで案内。


次は帰り、エスカレーターに乗ろうとした瞬間、

スーツケースとかばんで両手がふさがっていたお母さんと男の子がいて、

食べかけの丸いアイスクリームの箱を片手にもった男の子が

エスカレーターに乗るのを手伝ってくれない、と言われたので

手をつないで1,2,3。

慣れていないようでおっとっと、とつま先から落っこちそうになっていました。

降りる時も、せーのっ!と引っ張ると、ありがとう、と言われ、くすぐったいような気分でした。



ブラジルに来て、妊娠中も、子どもたちが小さい時も

本当に本当に、バスや地下鉄では乗客の方にも運転手さんやコブラドールにも

何度も親切に親切にしていただいてきたので、今一人で歩く機会ができて

なにげにそっと自分もお返しができて、いい気分でした。








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ダメ出し。。。

今日は揃えた書類を持って、予約していた2時に提出しに行きました。

これでおーしまい、と思いきや、やっぱりダメだったのでした。


まず、先日話しをしておいたAさんを探しました。

が、Aさんはなぜかカウンターの向こうでおしゃべりに夢中で

まったく出てきません。

なので、POIS NÃO?!と聞いてきた女性にAさんを呼んでくれるよう頼むと、


『A! ご指名だよ~』


と呼びつけ、Aさんはおしゃべりを中断して軽い感じで出てきましたが、

先日のことなど忘れているらしく、しかも自分はこの係から外されたのでもう関係ないんだよ、

というのでした。


いちおう書類はチェックしてくれましたが、DECLARACAO TRABALHISTAの一部分

言葉が抜けているので書き加えよ、

それからCertificado の種類が間違っていており、それも取り直してこい、

というのでした。




じんじんのブログ


その後はMという女性のとこへ引継がれ、


M『あなた、INSS(年金)に入っていないわね、』


私〚入ってません〛


M〚年金に入って払ってこないと受け付けられないわ〛


A『え?いつからそんなこと要求しだしたの?』


M『Pがそうしろと言ってきているのよ、そうでないと上の方で受理されないわ』


A『あ~、Pが言ってるんだ~、はーいはい、じゃ、仕方ないね~、そういうことで。』



という、えー、あんたの気まぐれで言ってるんじゃないでしょうねー?!

 と疑いたくなるような感じで言われ、

新たにPREVIDENCIA SOCIALというところへ行って手続きをし、

今月の年金を収めなければいけないという

気まぐれなのか本気なのかわからないようなことで

また使いっ走りのように必死に駆け回ったのでした。


時間を無駄にしたくないので、一番近いPREVIDENCIA SOCIALはどこか聞くと

メトロANHANGUERAのショッピングセンター LIGHITにあるというので

向かいましたが、そのショッピングセンター内にはかつてあったらしいのですが

今はなく、通りを反対側に歩いて行って別の所にありましたが、

年金申込みは月曜から金曜の朝7時に先着5人のみ受け付ける、ということで

今日は無理だったのでした。


やっぱり嫌になる、こういうことで振り回されるの、

カウンターで応接している以外のカウンター内の職員なんて

ペチャペチャおしゃべりしてるか、高校生が授業中居眠りするみたいに

デスクに突っ伏して目を開けたり閉じたり平気でこっちに顔向けてる金髪の姉さんとか

もうどうなっとるん?!?! イラッときたのでした。



でもまた気をとりなおして、来週行ってきます。










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その6 廊下で

続き




初産にしては、まあまあ助産婦さんを困らせたりすることもなく

よく産まれてきてくれたと思います。


産まれてすぐ オギャー! ではなく、足首のとこををつかんで、ちょっと逆さ吊りにしてトントンとやってから

フエーッとなきだしました。


それですぐ抱かせてもらえるわけでもなく、娘は足の裏から血を取る検査なんかをし、

私は産後の処理、局部下を縫い合わせたり(麻酔はしたけど針がチクチク刺さる感触がした)


なんだか傷傷しい、痛くて 常にヒーっと息を飲んでいたように思います。


ひと通り処置が終わると、今度はシーツにくるまれた娘を仰向けになっている

私の脚の間に置かれ、ちょっと固定する感じで、モゾモゾと動く暖かい感触を味わいながら

私たちは長ーーーーーーい廊下をガラガラガラ押され、別病棟にある新生児とママが過ごす部屋あたりに着いて、娘は私の脚の間から小さいプラスチックのベッドみたいな物(コットっていうのかな?)に移されたのですが、それっきり、何時まで経っても部屋には入れず、廊下に放置されました。


私だけではなく私の前にも後ろにも、新生児と母親たちが廊下に横付けに放置されていました。


朝の7時頃産まれたので、3時間くらい経っていたでしょうか、廊下で搬送用のストレッチャー(っていうの?)に乗せられたまま、昼食(ご飯、フェイジョン、でかい肉)が出され、ものすごく食べにくい体勢で、起き上がって座って食事を済ませると、お盆を回収してまた放置。


赤ちゃんって生まれたらすぐにでも乳首をくわえさせてよい、ということも知らず、

誰からもなにも言われず、ただ、私は娘の顔を飽きることなく見ながら、一体いつになったら部屋に入れるんだろう、とわけのわからない状態でした。


小さな小さな娘はこれまた小さな手を顔周りに持っていく赤ちゃん独特の動きをしていて

そして気になることがひとつ、お腹がすいているように、口をパクパク開けていました。

そこでおっぱいをあげればよかったんでしょうが、そんなことも知らず、

なにしろ搬送用ストレッチャーの上の不安定な体勢で、私の身はシーツでくるまれただけ、脇に置かれたプラスチックのコット(っていうの?)に身を乗り出して娘を抱え上げることもできず、ただ待っていました。


そのうちに、娘はなんだか苦しそうにオエッという動作をするようになり

私は青ざめながら、通りかかった職員を、ちょっとー、様子がおかしいんだけどー!!!!!!!

と引き止めると、どうやらほんとに、やばかったらしく、即奥のほうの処置室へ連れて行かれました。

私はその間も廊下で待ち、しばらくして無事看護婦さんに抱かれて戻ってきました。


なんでも産まれた後何時間もミルクも母乳も与えずに放っておいたので

お腹がすき過ぎて、羊水だかだかなんだかとにかく体内にあった物をオエーーとやってのどに詰まりかかっていたので、吸引したらしい。


ヒヤッとする出来事でした。


それから昼過ぎに夫が面会にやってきて、私たちは廊下で対面。

よそのお母さんと新生児たちも家族と廊下で対面。 そこでやっと、昨夜の恐ろしいホラー映画から抜け出て、

現実世界に戻ってきた感じがしました。


生まれて初めて撮った娘と私の写真のシーンは廊下で

服装は私は白いシーツにくるまれたTOMARA QUE CAIA,娘は緑のシーツにくるまれてオネンネ。


そして午後3時頃、職員が入れ替わる時間帯の時、

新たに出勤してきた看護婦さんたちが、廊下で何時間も放置されている私たちを見て、

なんなの?この人達は、なにをやっているの???と驚きの表情で入ってきて、

(夜勤と昼勤で引継ぎがうまくいかないとか、やり方が違うという問題があったらしい、もう、これだから、夜勤のやつは!みたいな話をしていた)


それからやっと部屋へ移され(4人部屋)、シャワーを浴び、安定したベッドの上に横になり、どっと疲れが出て

眠りについたのでした。












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その5 出産


初めての出産をHOSPITAL PUBRICOで。

考えて見れば、タダでいきなり受け入れてくれるわけですし、ありがたい話ですけど

やっぱり怖かったです。 



おや、今日かな、というお印があったのは朝、それからなんとなく生理痛みたいなのが

どんよりんとやってきては去る、を繰り返し、夕方になるにつれひどくなってくる。

やっぱり今日なんだ、とあまり持ち込んではいけないと言われたので

ベビー服やおむつは最低限かばんに詰めて用意しておき、夜の9時頃でしょうか、

病院に向かうため、借りていた車(パンパ)を夫が運転し、到着しました。


着くと、用なしの夫は、明日の昼面会にもどってこい、とだけ言われ追い返されました。

一人残された私は簡単な診察を受け、(その医者が無表情で話聞いてくれてなくてコワイ)

すべて脱いで、一枚の入院服みたいなのに着替えるよう支持されたので着替え

言われるままに診察台に横になると、いきなり安っぽい使い捨て髭剃りで

カラカラ乾いたままジャリッ、ジャリッとアソコの毛を剃られ、痛い痛い。


でもそれを実行している看護師も夜勤のストレスなのか

モノを扱うような無表情な態度、

陣痛の痛みとヒリヒリ剃られた痛み、無表情な医師たち、薄暗い病院。

まるでホラー映画のワンシーンのようでした。



剃られた後は、十人以上入る大部屋に入れられ、(すべて出産を控えている妊婦)

照明を落とした薄暗い部屋のあっちからもこっちからも痛みに耐えるうめき声が聞こえ

途中トイレに行きたかったのですが、看護婦は常駐しておらず

痛みに耐えながら高いベッドから降り、大部屋内にあるドアのない空きっぱなしのトイレに入ると

床のそこここに血だらけのシーツが投げ捨てられていました。


夜中中、次第に間隔の短くなる痛みと恐ろしさと心細さに泣きながら耐えていました。


その間、順々にほかの妊婦が分娩室に運ばれ、

出産に挑んでいる様子は丸聞こえでした。


ギャーっという痛みの声とそれを叱りつける看護婦。

あまり大騒ぎすると叱られるんです。助産婦さんも医師も女性でした。


日本のドラマで見る、よしよし、頑張ろうね、なんて優しく背中さすったり

ご主人がカメラを手に涙ぐみながら立ち会うとかいう要素は微塵もありません。


私も人生初の出産、どういうのが普通でどういうのが普通じゃないのか

その時はよくわからないけどとにかく痛い~! オソロシイ~! だけでした。


そんな状態も永久に続くわけではなく、

だんだん空が明るくなってきた頃、朝の7時ちょっと

無事長女を産みました。









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