じんじんのブログ -10ページ目

その4 お前は開拓移民か?

続き




夫の家族とは別居で暮らしていく、と決め、

はじめは信じられなかった自分の妊娠も

中からお腹をポコポコ蹴りはじめ、お腹も大きくなってくると

それを中心に世界は回って行きました。


観光ビザのほうは、90日の一週間前に延長手続きをし

12月末まで滞在可能でした。


こういう手続きをするのにもいちいち誰かに車を頼まねばならず、

運転も誰かにしてもらわなければいけませんでした。

連邦警察までは2時間くらいだったでしょうか、当時はメトロ駅LUZ近くにありました。



その年のうちになんとか住めるようになった新宅に

即移り、呪われた家族とはやっとすこーし距離をおくことができるようになりました。


あとは自宅を少しでも住みやすい世界にすべく燃えていました。


耐え難い草むらは、鋤を手に根っこから掘り返して雑草を絶つ、という作業を自ら行い

(夫はそういういうことはどうでも良いらしく、アホみたいに私は必死だった。

この草むらを日本の庭のようにして見せる!と)

その雑草というのも強力な根っこ&生命力で、けっこうな力仕事。


私はまるで開拓移民なのか? のごとくエネルギーをそちらへ向け

家の周りの雑草や低木を処分して更地にし、芝を植えたのでした。



開拓民のようなことをし、お花の仕事での収入は食べていく分だけ、

ネットも電話もない、TVではノベラばっかり、車もない

お姉さんに車を借りてなんとか月に一度は産婦人科へ行き、

慣れない花(プリムラ)の鉢周りを掃除しただけでものすごいアレルギーで手が腫れ上がっても

妊娠中で薬も飲めず、妊娠中はどう過ごすといいとか、赤ちゃんが生まれたらどうとかいう情報は皆無。


どんどん月日が過ぎて、お腹も大きくなり、クリスマス、お正月(このあたりで延長したビザ切れる)

この時期独特のブラジル時間、バカンスモードのカーニバル時期に

HOSPITAL PUBRICOで出産しました。







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その3 針のむしろ

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そういう感じで、経営の問題、家族間のパワハラ、使用人たちの問題の渦の中にいました。


たとえば、


戦前日本人気質なソグラとそんなソグラに怒鳴るお姉さんたち、

感じの悪い住み込みのババ、常にSACO DE PANCADA な夫、

明らかにピンハネをしてごまかしているエンプレガード(トラック運転させていた)、

なのになぜかそれを黙認し、そいつの肩を持つ姉のナモラードはUSP出、

ネッスルで働いていたとかで、関係ないはずなのに偉い人気取りで口出し、命令してくる(しかも無職)

そんな状況に何も言えない(言わない)一家の長であるソグロ、


というテンデバラバラで、どうにもならない不毛地帯みたいなところで、

私はコトバにもならない悔しい思いや怒りでいっぱいでしたが、

日本の誰に相談するわけにも行かず、まさかの妊娠検査は陽性。 


つわりもじわじわ、独り身ならとっくに日本に帰っていたけど、妊娠!! ! 

どうしたらいいのかわからず一人泣きはらす日々でした。



一度は日本に帰ろう、と決心しましたが、私たちって一体なんだったの?? 生まれてくる子は 私のように実の両親のもとで育つことが出来なくなるんだろうか、それでいいんだろうか、、日本に帰ってから、どうすればいいんだろう、、堕ろす?!?! ワナワナワナ。。  夫婦以外の人たちとの摩擦で諦めていいのか、、悩みました。


悩んで悩んで悩んで、とりあえず、この呪われた大家族生活でなく、私と夫と生まれてくる子とでゆっくりできる状況で暮らせないのだろうか、と夫に提案し、同じ敷地内にある、かつて使用人用に建て始めた途中で放置され、背丈ほどもある草ボーボーの中にひっそりと隠れていた小屋のような家を改装して住むことにしました。


その家屋は寝室一部屋と台所&風呂場兼トイレ、

屋根はトタン屋根、トイレの入口は家の外、

壁も床もセメントのまま、中は枯葉でいっぱい、

外側は入り口も塞がれるほど草ボーボーでしたので、

まず草刈をし、家の中を整備し、ペデレイロを探し、タイルやセメントや用意して

工事に取り掛かりはじめ、


そんなことをしているうちに、日本から送ったお金はどんどん消え、

あっという間に90日は過ぎていたのでした。








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その2 呪われた家族

続き



日本からやってきていきなりそういう場所に住むことになり

なんだか気分が悪いけどなんなんだろう、いつまでも飛行機に乗っていたときのように

揺れる感じがする、そういえば生理が遅れている、なんだろう、なんなんだろう、

外界からは遮断された世界、車もないし、不安な日々。


そして、次第に明らかになってくる夫の実家の様相。



私の実家は、私がブラジル人と結婚し、遠くにお嫁に行く、ということについて

まったく反対はしませんでした。

ただ、遠いから心配ではあるが、大人なんだし、

自分で決めたんならその道をゆきなさい、という感じでした。(by実父)


(ここでまた一言では説明しにくいので脱線、

厳密に言うならばそれだけではなく、前妻との間の長女である私というビミョーな立場ですので、

母(生みの母ではない)にとっては厄介払いになる意味合いもあったと思われます。


(私は実母と1歳の時別れ、父の方で育てられ、19歳になるまで実母を見たことも、

その存在さえ知らされていませんでした。実家の母とは育ててくれた継母のことです。

腹違いの弟、妹と育ちました。)



長男の嫁、なのだから何時までもお客様気分ではダメ、いち早く一家の戦力となって

尽くしていきなさい、という古風な気質の両親です。

(それはつまり、結婚に反対はしないが、一度嫁いだ限り二度と実家には戻ってこれないんだよ、

そうやすやすと戻ることは認めん、という事でもあります)


そんなかんじで、お花を植えたり、夫と二人でやって行くんだな、という気持ちでしたが

実際、長男に後を継いでもらいたいを思っているのはソグラだけで

実権を握っているのはお姉さんたちでした。


(当時、夫の実家には、ソグロ、ソグラ、姉1とそのナモラード、姉2と一人息子、

そのババ、そして日本からやってきた私たちが一つ屋根の下で暮らしていました)


姉たちは土一つ触るわけではなく、銀行やサンパウロの店に努めていて、

夜になったら寝に帰ってくる、という日々でしたが

金銭的なことから何からすべて彼女たちが動かしており、

夫はあくまで都合のいいエンプレガードか奴隷のような、マリオネットのような扱いでした。


そして驚いたことに、私のいない間に、夫と姉たちの間で、私が日本から送っておいたお金を

借金を返すのに使うことを勝手に決められていたのでした。







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なんで恩赦なのか?


なんでこの人、日本人なのに恩赦なんか受けてるの?

と思われるかも知れませんでの、恩赦申請に至った経緯を回想してみようと思います。


私が初めてブラジルに入国したのは、1999年の6月、90日の観光ビザで

なぜ入国したかというと、日系人である夫と結婚するためでした。(現在は別居中)

日本に出稼ぎに来ていた夫と私は日本で知り合いました。


夫の実家は農家で、花を栽培し、卸していました。

実家の家計は火の車寸前だったのですが、そんなことは一言も知らされず、

ただ、一人息子である夫が帰ってくればなんとかなるだろう、という思いから

ソグラが呼んでいたのでした。


そこについてきた私は、おそらく予想外の邪魔者だったと思われますが

こんな状況に限って、私はめでたく妊娠中でした。


夫の実家はサンパウロから50キロちょっとですが、町から遠く離れたSITIOで

バス停まで2キロの土道、住所は一応付いているけど郵便屋は来ない、

RUAの名前も一応あるけど、電気代の紙に載っているのと違うし

そもそもRUAっていうか農道。


道しるべは、、畑があって、ユーカリの木があって、なんの木か知らないけど

エムーに似た形の木があって、ブロック塀のところを入っていくと向いにビニールハウスがあって、、、、

そんな、住人以外には説明したって分かってもらえないような場所でした。


つづく



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Oi amiga

今日は仕事が休みで銀行は開いているという絶好の機会なので

過去6ヶ月分のEXTRATO(明細書)を取りに行ってきました。



CAIXA ELETRONICOでも取れますが、RNE更新の書類なので

中で取ってこい、と言われたためです。



これがまた、同じ銀行ならどの支店でも良いわけではなく、

自分が口座を開けた支店でなくては出してもらえません。



(サンパウロに行ったとき、トライしましたがダメでした)



無事出してもらえたので、後は雇い主の方で用意してもらっている

Declaração Trabalhistaと、

電気代のコピーをCARTORIOで取るという作業が残るのみです。




2009年に恩赦が出て、申請した人たちは

LAPAの連邦警察ではなく、メトロREPUBRICA近くにあるビルの中に設けられた受付所で

申請しましたが、

おそらく臨時で雇われたのであろう受付のおネエちゃんたちの態度はすごいものでした。



高飛車で、この不法滞在者が!という見下した態度丸出し、ガムをくちゃくちゃしながら

AVONの雑誌を見ながら、コトバもカタコト、どこで何をしたらいいのか分かっていない外国人を

犬のように扱っていました。 『おい、そこ、座れ!』みたいな。。



どこの国でも不法滞在者はこういう肩身も狭い思いをしたり、

理不尽な扱いを受ける傾向が多少はあるんでしょう、

私は不法滞在をしていたわけではないのですが、

なんともイヤーな気分になりました。


そんな、くたびれた暗い雰囲気の外国人が多い中、キラっと光る外国人女性がいました。

そのかたは中国系の方で、コトバもカタコトではありましたが、卑屈になんかなっていなくて、

窓口に立ったら、まず、



『Oi amiga 』



と、態度の悪いおねえちゃんたちに怯むことなく、接していくのです。


そうすると、不思議なことに、窓口のおねえちゃんたちの対応も彼女のペースに

なってきます。


どんなに理不尽でも、マジメに腹を立てていたら負け、

気をとりなおしてこっちのペースに持っていくくらいの余裕を持っていないと

やっていけないんだなあ、と思ったのでした。




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