訂正
今までずっと、タイトルからしてRNE更新中、と書いてきましたが、
これは間違っている、ということに気づきました。
ガーン!
とにかく申し訳ない、の一言です。
恩赦でとったRNEは仮、
それをPERMANENTOにする、ということは
更新ではなく 切り替え ですね。
紛らわしい間違いで大変申し訳ありません。
より多くの方に恩赦に関する情報を!と思って
ランキングにそのように登録したのに、
タイトルからして間違っているなんて、
アホちゃんですいません。
仮とはいえRNEカードをもらっていたので
ついつい更新する、という意識が強く働いていました。
恩赦によるRNE 更新とか、更新手続きと書いてあるところは
切り替えの間違いだな、と読み替えてくださるとありがたいです。
ご迷惑をおかけします。
更新、じゃなくて切り替え手続きも済ませたので
ランキングのほうのタイトルを
変更させていただこうと思います。
題して
RNE切り替え済
よろしくお願いします。
その10 まとめ
2000年ごろのことを思い返して書いてきましたが
その状況は、2007年に、今働いている場所で働くようになるまで
細かいところで変化はあってもよくなることはありませんでした。
大きな出来事は二人目が生まれたこと、
2004年に娘二人とはじめて里帰りしたこと、
2007年に外で仕事を始めたこと。
そのあとは夫の酒癖が悪くなり、協力しあう土台の私たち夫婦の関係が
どうしようもなくなり、夫から受ける子どもたちへの影響もやばくなってきたので
2008年から職場内の家に住ませてもらうことになり、母子家庭をはじめました。
ここでまた一からスタートで、人生最貧?!の中から
少しずつ這い上がって、今こうしてインターネットも出来る状況になりました。
2000年に申請していた永住権は、2年3ヵ月後の2002年9月にでたようですが
それを当時いいタイミングで知る由もなく、
二人目の妊娠や出産が続き、永住権が出ていたのを知ったときは
すでに遅く、ブラジリアにファイルを納められていました。
なので、今度はそのファイルを再び出してもらう(REPUBRICAÇÃO)
という申請を2004年にして再び申請中という状態に戻してプロトコロをもらいました。
しかし、待って待って2年後の2006年、結局は
私の住んでいる場所にいなかった、ということでIndeferidoー却下となってしまいました。
れいのSITIOの住所、連邦警察側は
その住所に本当に住んでいるのか、結婚しているのかなどを
調べに来ようとしたけども、その住所にはいなかった。
と書いてあるのです。
そりゃそうです、本当に来ようとしたとしても、
あんなとこ、いきなりたどり着けるわけがない。。
そこまでブラジルに住んでほしくないのか?
拒絶されているような感じがしました。
一人ではどうしようもなさそうなので
そういう手続きをしてくれるというとこに電話してみると
手続き料金2500RSから3000RS.
その手も無理だし、
このままいて不法滞在で逮捕されるわけでもないし
日々の生活で精一杯で、知るか、とほうっておいた、
というのが実情です。
そこへきて2009年、恩赦が出たんですね。
そのときは台湾系の知り合いの方に教えていただき
もうこれしかない!と申請に至ったのでした。
10年ものあいだ、自分の口座もなく、免許もなく、
郵便局で着払いの郵便物を受け取るときさえ
パスポートでない、ここの身分証を見せないと渡せない
と言われたり、本当に不便でしたので
仮とはいえRNEが出たときは、信じられないうれしさでした。
出た日のうちにCPFを申請し、
CPFが出た日に銀行へ口座を明けに行き
(これはあまりに早急すぎてデータが入ってなくて無理だった。笑)
そして今回どうにか更新手続きも出来たので
あとは免許ですね。 車はまだないけどね。
ガソリンスタンドにある黄色のUNOが当たらないかな。。。
その9 待てど暮らせど、、、
2000年の6月に永住権を申請しました。
当時の生活は長女が生まれ、人里離れたSITIOで貧乏生活。
まったくゼロからのスタートで、少しづつ前に進んでいたのでしょうか
しかし、なにをやっても報われない地獄のような日々でした。
一応電話は、ソグラ宅から夫が自分で分線?し、我が家まで引っ張って繋ぎましたが
常に雑音がしたり、不通になる、雷雨が来ると不通、
泥棒が銅線をごっそり切って持ち去って不通ということもざら、
雷で電話機が火を吹いてショート、
と安定して使えるものではありませんでした。
もちろん、ネットは未来の世界。
車は前二人乗りでうしろは荷台のパンパ、というのを借りていましたが
これがドクメンタソンがきちんとしていないので、本来
道路を走れない、走っても警察に見つかったらアウト、
買い物や予防接種程度には使えるけど
サンパウロには行けない。
走ればいいけど常に故障で、夜中に暗い田舎道でエンストだの
ガソリン満タンにしたら漏れているだの、日本では経験したことのなかったトラブル続きでした。
田舎だからのどかでいい、ということは決してなく
田舎だからこそ泥棒に入られても誰にも気づかれない恐ろしさ、
一度、日本から私たちやってきたと知っている強盗がソグラ宅に入ったことがありました。
明らかに誰かに内情を知らされた覆面の人物たち。
そういう奴らはラリってくるので嫌がらせがヒドイ。
しかし、狙われていた私たちは、ソグラたちと別居してトタン屋根の家に住んでおり
直接の被害はありませんでした。
SITIOでは散水用の管を夜中にごっそり持ち去られるとか
エンプレガードがコソ泥になるとか、自分からやめておいて訴えるとか
広大で手入れの行き届かない敷地内の草むらを毎年放火される、
でももちろん警察なんて来るわけない、自分らで消火とか
田舎ゆえの無法地帯、ちょっと雨が降ったら停電、電話不通、
家族経営であるあ花の商売は金銭的にも
人間関係的にもゴタゴタのまま、
電化製品は、
一応冷蔵庫と洗濯機とガスレンジは、ソグロの借金返しに使われたお金を
返してもらう、ということにして分割で払ってもらいました。
もらったテレビは四角い箱型のTV30年前くらいの.
雷が来ると焼ける、のでしょっちゅうコンセントから抜くので
日本から持ち込んだステレオの時間はその度に0;00に戻って、
タイマーとか使わなく(使えなく)なり。。。
日本からやってきたへなちょろな私には太刀打ち出来ない様な出来事が
次から次へやってきて
友人とも家族とも連絡もほとんど取れず、
というか、そんな状況をどの友達にも説明の仕様もなくて
娘や夫がいても超打ちのめされていました。
日本だったら、え、なにがそんなに大変なの?
そんなの簡単じゃん、ていうなんでもないことがここでは簡単じゃなく
その複雑さが誰にも分かってもらえないもどかしさ。。
当時密かな楽しみは、日本からのお手紙。
文通ですね(笑) こちらから事細かに事情を書きはしなかったけど
日本から来る平和な暑中見舞いだの、写真付き手紙などがくると
とても嬉しかったです。
そういうものは、義姉の勤務先に届き、それを義姉が持って帰ってくれると
見れるのでした。
そんな中、当時はネットでチェックなどしようがないので
CAMARAに出向いたり、(DIARIO OFFICIALに出る、ときいていたので)
電話で問い合せたりしても、いつも、まだ、なのでした。
その8 罰金
2000年当時を回想しています。
回想し終わらないうちになんとかRNE更新手続きも済みました。
できるだけ短く、(とかいって長いですね。笑)
どのように恩赦申請に至ったか、書いてみようと思います。
娘の日本国籍をとれなかった頃(私が領事館に出向いたときは既に生後4ヶ月過ぎていました)
切れたビザをどうにかするため、連邦警察にも出向きました。
その時、まずしなければいけなかったのは罰金の支払いでした。
その額、827,75RS!!!
期限が切れてからの日にちを計算、多分上限額くらいになっていたのだと思います。
これを30日以内に支払わなくてはなりませんでした。
そんな額はすでになく、これだけの金額を早急に稼ぐことも無理でした。
そういう時、頼らざるをえないのが、一番頼みたくない実家。
国外に嫁いで、これでスッキリおさらば、迷惑を掛けることも
頭を下げなきゃならないこともないだろう、と思っていたのに、
こんなことでお金を頼まなければならないなんて、
ほんとうに情けなかったです。
ソグラ宅から電話を借りて、事情を話し、送金を申し入れると
つべこべ言わずに手配してくれました。
ありがたい事ですね。
その送金も、自分の口座がないので、ソグロ当てに送ってもらい
ソグロ本人が銀行まで出向いてサインして受け取って、
ソグロは運転しないので義兄に運転してもらって、
と、みなさんに迷惑を掛けることになってしまったのでした。
それから罰金を払い、
ブラジル人の配偶者、ブラジル国籍の子どもあり、
ということで永住権を申請するため
無犯罪証明書、公証翻訳人による戸籍等の訳などを集めるのに
奔走しました。
無犯罪証明書では、再び実家の父に東京の警察庁やら外務省まで
出向いてもらわねばならず、申し訳なさでいっぱいでした。
どうにか書類を集めて申請し、プロトコロをもらって待つ日々に入ったのでした。
地下鉄 ブタンタァン駅から乗る
たまーにしか使わないですが、地下鉄便利だと思います。(当たり前か、w)
路線によってガラが悪い、というかCPTMという電車の路線がガラ悪気味。
これはサンパウロ郊外と市内をつなぐものなので、朝夕のラッシュ時はすごい、
列車到着、扉が開くと、降りる人の出口を狭めながら待つことなく
我先にと押し合うのでドドドッと背中を押されて進む格好に。
労働者をいっぱい乗せて、アル中だかなんだかでやばそうなのも乗せて、
おかしやペンや雑誌やら売り歩く売り子が(あくまでも個人で)セールスしながら車内を歩いて行く。
しかもスピードノロイ、車内も汚い。超庶民列車です。
変わって、サンパウロの中心部を走っている
緑のラインのLINHA 2 はパウリスタ通りの下も通っていて、安心な客層
ケータイも気兼ねなく使える、そんな環境です。
(もちろんいつでも気を付けなくてはいけませんが)
けどトイレは改札を入るとないです。
いづれも痴漢にあったことがありません。(かなり少ない乗車回数だけど)
以前はサンパウロセントロまで、普通のバスなら3台乗り継ぐか
バス2台と電車40分か、高速バス一台だけどターミナルまで行かないと
地下鉄に乗れませんでしたが、最近新たな路線が一部開通たため、
乗り継ぎが2台で済むようになり、
サンパウロ行きが少し近く、速くなりました。(うれしー)
新しくてきれいだったのでご紹介します。
ちなみにLINHA 4 -黄色線、BUTATÃ - PINHEIROS - PAULISTA間です。
そのうちLUZまで伸びていくようです。
半年前は9時から3時くらいしか走っていませんでしたが、
今は朝の4時から夜9時までだったかな? 営業時間延長されていました。
グーンとエスカレーターを降りていくと切符売り場が左、
新しいけど自動券売機ではなくってやはり並んで、人から買い。
一律2,90RS
(一律切符に慣れてしまったので、日本に帰って電車にのる際、きっぷを買うのに戸惑いました。
おとな1 小人2とか やたらとボタンがあって、行き先ごとに値段が違って。。)
ここのはシンプル。
改札、チケットを入れるとガラスの扉が開きます。
上がこうだから改札過ぎても明るい
ひたすら降りていきます。
乗り場
プラットホームにドアがあるので
到着時に吹いてくる車両風を感じることなく列車が入ってきます。
ブレてるけど中はこんな感じです。新しい。
座り心地もよい!
他の路線と違ってエアコンありです。
なので細窓空いていません。
暑い日もひんやり。
寒い日はどうだろう、多分ないです。
日本のように座席下からモワーッと暖かくなるようなものは一切なし
スッキリとしています。
まだ開通していない駅は飛ばしていくんですが、
その区間、これほんまに地下鉄?!っていうくらいのスピードでした。
あっというまにパウリスタで下車。
(今のところこれ以上先へは行けない)
歩いて歩いて歩いて乗り継ぎ先のLINHA2 緑線のCLINICAS駅へ急ぎ足。
セントロに行くときはたいてい急いでいるのですが、
そうでない時もより速く、より隙間のあるところへ入って
エスカレーターも追い越しながら進み続ける、
降りるときにはエスカレーターをチェックしながら進む、
エスカレーターが人で詰まっていたら階段を駆け上がる、
という傾向が抜けません。
さすがに何番目の車両が出口に近いかを計算してから乗る、
ということはしませんが。。
どっち側のドアが開くのかをアナウンスしてくれる駅もあるけど
ほとんどしてくれません。 毎日通勤に使っているひとは
分かっているもよう。 おのぼりさんは右往左往。
歩く歩道?が二つ続いて乗り場へ。
従来の地下鉄に乗ると古い感じがしました。
なぜか、日本の新幹線や普通車の車内で嗅いだことのあるにおいのする
車両でした。
なんだろう、あの匂いは、消毒液か何かかな。。













