続き


7/5㈰お見舞いに行ったとき、母は時折目が虚ろになって上へ泳がせたり、聞いたことないようなうめき声を上げて胸元に手を当てていたので、正直母の病室で夜を明かすのは心配でした。


しかしそんな心配はよそに、重篤なはずの母はしきりに話しかけて来ます。 


壁時計を見ては、ご飯の時間を気にする母。

「8時。ご飯の時間だね」

私は夕方6時にコンビニ弁当食べたばかりだ、と言うと

「まだ夜か。朝の8時かと思った。朝なのか夜なのかわからない」


母は食事が取れず点滴オンリーなのに、なぜ数時間おきに時計を見て

「今は◯時◯分。ご飯は何時?」

と私に尋ねるのか、不思議だったのですが…


今にして思えば、それは母がご飯支度の前に私たち家族にかける言葉でした。


母は昼と夜の区別がつかなくなっても、長年家族の食事準備をするため時間を気にする習慣が出てしまったんですね。




皆さま、お久しぶりでございます。


本日は大好きな母の初七日でした。



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5月中旬


毎朝ラジオ体操を欠かさない元気な母が、ゴールデンウィーク明け以降、突如足が浮腫み始め、歩くのも辛い状態になっていると姉から連絡がありました。


姉は父の病院付添いで毎月帰省しており、母の突然の体調悪化に驚いたのです。



6/8㈪


母からのメール




6/18㈭


母が足の浮腫とお腹の膨らみが酷いことを、持病の定期健診で主治医に伝えたところ、腹水除去のため6/18㈭ 緊急入院。


2017年以降服用していた抗がん剤の副作用で肝臓が弱ってきたため、積極的治療を止めていたからでしょうか。

2週間で退院の予定でしたが、血液検査の結果が悪く、退院しても自宅に戻ることなく終末医療施設への転院になるだろうとのこと。



6/22㈪


入院5日目。

父と姉が病院に呼び出され、余後3~4カ月宣告されました。


姉から電話。

「お母さんと会話が出来る日は、もう長くない。後悔する前に一度お見舞いに来たら?」

という言葉に衝撃を受け、翌日派遣会社の営業担当に家庭の事情で6月末で退職すると伝えました。

7月からは実家に滞在し、母を頻繁に見舞うことに決めたのです。


退職を伝えたとき、なぜか予定していなかった「今週末に一度帰省するので、6/26㈮もお休みを頂きたい」

というフレーズが口から出てきました。

もともと土日に帰省する予定で、会社を休むつもりはなかったのに。


しかし、金曜日にお見舞いに行ったお陰で、退院支援員さんに

「娘さんが札幌から来るなら、その日お薦めのホスピスを見学したら如何ですか?

平日しか見学出来ないんですよ」

と提案され、空き待ちだったホスピスへの見学と説明会(⁠という名の面談)が叶いました。



6/26㈮


お見舞いに行くと、姉の言う通り母の頬はこけ、腕は骨と皮の状態でした。

入院するとき、自ら喋りづらくなったと言った通り、滑舌が悪くゆっくりじゃないと喋れない様子。


それでも脳はしっかりしており、私が7月からは仕事を辞めて実家に長く滞在してお見舞いに来ることや、父が家でひとりにならぬよう札幌から引越すことを伝えると、母は

「迷惑かけてすみませんね」

と言いました。


母は日に日に弱ってゆき、主治医は余後が早まるだろうとの見解を示しました。


残り少ない日々は、ホスピスの個室で好きな音楽や珈琲、レアチーズケーキを食べて穏やかに過ごしてもらおうと、7/8㈬にホスピスへ転院することに決めました。


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7/7㈫


ところがホスピス転院前日の7/7㈫午前、病院から電話。

「容体が悪く、明日転院しても移動や環境の変化で身体に負担がかかり、すぐに亡くなる可能性があります。

今すぐお見舞いに来て、転院するかこのまま病院で看取るか、決めてください」


すぐに家族でお見舞いに行き、母の意向を最優先するためホスピスにお引越ししたいか尋ねましたが

「決められませんね~」

と繰り返すだけ。


今にして思えば、個室で看護師常駐のホスピス料金が高いことを気にして、遠慮していたのかも知れません。


退院支援員さんは

「ほんの数日でも、家に近い環境で家族や親戚に囲まれるほうが幸せなのでは」

と提案してくれました。


私が少し席を外し病室へ戻ると、姉は母と好物のブルーベリーレアチーズケーキの話をしていました。


「ホスピスなら食べられるよ」

ということで、にわかにホスピス転院への夢が膨らみ、予定通り翌日ホスピスへ転院することに。


私たち家族は家に戻り、急いで昼食をとって、姉と私はホスピスへ母の生活用品を先に運びました。


CDラジカセと母の好きな井上陽水、布施明、QUEENのCDをケースに入れて。

お水用と珈琲用のストローカップや母が刺繍したコースター、電池でワンワン喋る犬のコウタも。


ところが…


帰宅後すぐに病院から電話。

「脈が一時的に30まで下がりました。今夜は家族ひとり、病室に泊まってください」


姉は父の食事や薬のサポートがあるため、私が泊まることになりました。


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父と姉、私が急いで病室へ行くと、すでに叔父と叔母がおり、母は日に何度もお見舞いに来る現象を不思議がってるようでした。


私は母に重篤だから泊まりに来た、ということがバレないよう

「明日のホスピスお引越しで朝早く介護タクシーに同乗するから、張り切って泊まることにしたよ」

と明るい態度を貫きました。


母の背中を父が、足を叔母がマッサージしたのがよっぽど気持ち良かったらしく、私ひとり残して皆が帰った後、母は一晩中、30分おきに

「いてて、いてて。背中が痛い」

と言っては横の手すりを掴んで背中マッサージを求めて来ました(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)



続く