「袋小路の男」再掲 | ほんのにちようび

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心に残った本のあらすじと感想をつづります。

(時に映画、マンガ、音楽などについても)

先ほどのトヨザキさん一日書評講座には、ひとつ素敵なオマケ(?)があった。それは、事前に書評を提出しておくと作品を講評してもらえるというもの。実は、僭越ながら私もひとつ提出していたのだが、うれしいことに、直筆のコメント付きで全員に戻ってきた。これはかなりうれしい! ちょっと宝物になりそうです。      

ということで、調子に乗って提出したものを載せます。

前に書いた「袋小路の男」の感想に手を加えたもの(最後はちょっと蛇足かな)。


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この作品は不思議だ。なかなか報われない恋の話なのに、なぜか読んでいてあたたかい気持ちになる。そこにはまっすぐな想いがあって、不器用でねじれた形だけれど、それを確かに受け止めている人がいる。他の作品でもそうだが、糸山秋子は「恋愛が成立していない男女関係のここちよさ」を描くのがとてもうまい。


主人公の日向子が想いを寄せる小田切は、ちょっと誇大妄想的なうえに、自分勝手でいつものらりくらりとしているけれど、たまに心をくすぐるようなそぶりをしてみせる、厄介なキャラクター。これがまた、こんな男に振り回された経験って誰しも一度くらいあるはず、と思えるリアルさで描かれている。日向子は小田切に振り回されつつも、そのゆるい幸せに結構ひたっている。 


小田切を例えるならば、長い間根気よくえさをやったり、声をかけたりするうちに家の周辺に頻繁に現れるようになった野良猫みたいなものだ。所詮、飼い猫にはならない。だからこちらの行動に対して、見返りを期待してはいけない。でも、突然姿を見せて不意にうれしい気持ちにさせたりするから侮れない。もしも遊びに来たときのえさ用に、とちょっと奮発して柔らかくて質の良いじゃこなんかを買って帰る日は、それだけでこちらも幸せになってしまう。 


思わずうなずいてしまったのがこの部分。


〈ばかだな、と言われるのが好きだと小田切は知っていて、それで毎回のようにばかだな、と言う。何度言われても日向子は快さを感じた。いつもきっちりしていて虚勢を張っている自分が、ばかだな、という言葉の前で角砂糖が紅茶に溶けるようにほろほろと崩れて、甘い気持ちになる〉 


張りたくて虚勢を張っているわけではない。本当は寝っころがっておなかを見せ、降参のポーズをしたいし、おなかもなでてほしい。だからそれを許してくれるサインが出るのを待っている。小田切が野良猫なら、日向子は従順な飼い犬だ。ふたりの間にはいつも一定の距離があるけれど、日向子はその距離がこれ以上縮まりもしないかわりに、もはや勝手に遠ざかってもいかないだろうということをゆっくりと確信していく。 


読んだあとに鮮やかによみがえるのは、冒頭で高校生の日向子が小田切の家をこっそり見に行く光景だ。雨粒が光を受けてかがやく雨上がりの朝、袋小路に入り込んだ恋をかかえて、後に袋小路で立ち往生する人生を送ることになる男の家を訪ねるそのシーンは、ふたりのその後の縮図のようでとても美しい。


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BGM:last live DVD/SUPERCAR ←ナカコーとフルカワミキの声が、ところどころ泣き声のように聞こえるのは、私の勝手な感情移入?