- 著者: 中島 敦
- タイトル: 李陵・山月記―弟子・名人伝
- 角川文庫 ★★★
[山月記あらすじ]
李徴は若い頃からその名を知られた秀才だった。その後職を得たが、下位役人の地位に甘んじることをプライドが許さず、若くして職を退き、人との交流を絶って詩作にふけっていた。貧しさには勝てず、妻と子を養うために再び職を得たものの、かつて自分が軽んじていたものの部下として働かなければならないことに再び自尊心が傷つき、ある日ついに発狂して行方知れずとなってしまった。
翌年、彼の友人であった袁さん(「さん」の漢字が出ない・・・)が商於の地を訪れたとき、道で言葉を話す虎に出くわす。そして、その虎の声は李徴にそっくりだった・・・。
学生時代に教科書で読んだ「山月記」。再び読む気になったのは、同僚の「あの話にはものすごい名言が出てくるんですよ」という一言からだった。
李徴という登場人物は、なまじ頭が良かったために自分のプライドに苦しむはめとなり、その肥大した自尊心のために虎に姿を変えられてしまう。そして、その姿のままかつての友人と再開するのだが、そのときに自らの過去を振り返ってこう述懐する。
人間であったとき、己は努めて人との交わりを避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、わが臆病な自尊心と、尊大な羞恥心の所為である。己の珠に非ざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信じるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。
確かに、ものすごい名言。すべての人の共感を呼ぶ言葉なのでは、と思えるほどだ。
それにしても、思春期の頃に多くの人々が持っている、「自分は人とは違う」という感情を、皆どのように消化しておとなになっていくのだろうか。もちろん、その「違い」を才能として高めていく人もいるだろうし、いつの間にかその違和感自体を感じなくなる人もいるだろう。しかし、そのどちらの方法もとれず、心の中で虎を飼い続けたままの人も、案外たくさんいるのではないだろうか。
BGM:Requiem/Gabriel Urbain Fauré