足利政氏館は久喜の町から北西に1km少々のところにある甘棠院というお寺の境内周辺に、空堀などの遺構を残している。
甘棠院は古河公方だった足利政氏が永正十六年(1519年)に開いた寺で、後継者だった足利高基との争いに敗れ、出家してこの地にやってきたときの開創とのこと。館の遺構は甘棠院や境内の政氏墓所とともに今日まで伝えられてきた。
電車でのお気軽追試城めぐりとして、最初に久喜陣屋を訪問してから続いてここへ。
大門通りを北へ進むか住宅街を縫うように進むかして、甘棠院の山門へと向かう。
館の中心地よりは少し南。
脇に説明板。
ちょっと植え込みの生命力の前に押され気味だけど💦
山門の中は甘棠院児童公園になっている。
その傍らには庚申塔とかいくつかの石碑とか。
児童公園の奥に立つは、中門。
落ち着いた雰囲気ながら威風堂々✨
ここは、その手前が見もの。
ここから左右に、館の南辺を守っていた空堀が伸びている。
が…
東側
カナムグラの生命力に圧倒された光景…😮
西側
こっちはセンダングサか😂
中門を入ると、奥に中雀門が見える。
そこまでの両側は墓地になっている。
中雀門の脇に説明板。
中に甘棠院の本堂や足利政氏の墓所があるが、普段はこの中には入れないようで、中雀門は閉じられていた。
土木遺構をサクッと見学するだけなので、外からチラ見だけで十分。写真も遠慮。
西側の墓地の外側に、館の西辺の空堀が南北に走っているが、この有様だった😂
雑草の生命力って、ホントに恐ろしいばかり…
なお、残っている空堀の外側はほとんど民家の敷地なので、甘棠院側からしか見ることが出来ない。
甘棠院の境内で見学できるのはこのぐらいなので、あとは北側の史跡公園に行ってみる。
この先行き止まりの看板が立っているのを見ながら住宅街の狭い路地を進んでゆくと、細い土の道になる。ここが入口。
進んでゆくと、小広い広場に出る。
芝生が植えられたところが試掘調査で見つかった堀跡ということだが、見てもよく分からん😂
公園の西側、フェンスの外が溝のようになっている。傍らに説明板も立っていた。
どう見ても🌿🌿で形もよく分からないありさまだが、館の西辺を守る堀跡かな?
さらに周りをぐるっと一周したが、遺構が見られるのはこのぐらいだった。
こんな住宅密集地にこれだけのものが残ったのは、まさしく甘棠院さんが守ってきたからなのだろう。寺社などでは文書も残されていること多いとの由で、いまの私たちにはほんとうに有難いことと思った。
★足利政氏館
埼玉県久喜市本町
甘棠院に駐車場あるが見学に利用できるかは不明。境内の足利政氏墓所には通常入れない。
平城
(2025年7月16日 記)