上条城(じょうじょうじょう)は柏崎の町へ南から流れ込む鵜川の左岸、国道353号との間に盛り上がった丘にある。国道からも森に囲まれたようすがよく見える。
越後上杉氏から分かれた上条氏により築城されたといわれるが時期は定かでないという。戦国時代末の御館の乱のときは時の城主上条政繁が上杉景勝陣営に属したが、城を景虎陣営に陥落させられたとか。
GW遠征の2日目、十日町の琵琶懸城を訪問してから松代方面の城へ登ろうとしたが積雪が多くて登れず、柏崎方面に移動ついでにシロウト時代から訪問機会のなかったこの城へ登ることにした。
城への登り口は、国道と反対側、川の方から入ってゆく。
コンクリ舗装の道が登っていて郭内に駐車スペースもあるが、普通乗用車ではこの坂が急すぎてムリ💦
登った上が、主郭になる実城。
コンクリ舗装されて車も置けるようになってるじゃんか😮
入口の傍らに、御影石の説明板。
この城は公園として整備したんだな、というのが伝わってくる。
その隣、登城道がカクンと折れ曲がる上には、天守があったとか…
実城は公園のようになっている。
何本が植えられている桜は、ピンクの花の麒麟が見頃だった。
隣の薄いうぐいす色をした鬱金は、そろそろ終わりか…
すっかり公園の雰囲気になった実城のトバ口に対して、奥に入ってゆくと新芽の鮮やかな緑に覆われた、あたりまえの土の城の風景🌿
その端の方に、下の曲輪への降り口がある。
ちゃんと凹んでいて、後補のようにも往時からのものにも見える。
凹みの下は、土橋で降りている😮
段の裾には、特に空堀などは無い。
それにしても、一気にジャングルの雰囲気だな😂
二の曲輪から見上げたところ。
キレイな土橋状✨
下の曲輪は「二の曲輪」という名前らしい。
実城からの道は付けられているが、それ以外の場所は完全なヤブ😂
横浜の榎下城もこんな感じだったっけ…
そのときは道から外れたところへ踏み込むのは控えたが、ここでは遠慮なく😅💨
荒れ放題の、二の曲輪の北東端あたり…
しかしここには、外敵から城を守る土塁がちゃんと盛られている✨
反対側には、実城の段もある。
ここは土むき出しの荒々しい姿✨
園路の周りと同じく、高さ3メートルばかり。
ここは生き物も怖そうなので、さっさと撤収😅
道に戻って先へ進む。
二の曲輪は南北二段になっているようで、写真中央左に段らしいものが見えている。
カエルの鳴き声も聞こえるところを見ると、どこかに池がある?
道は間もなく二の曲輪を出てしまう。
この出入口は短い竪堀状で虎口のように見えるが、どうも後補らしい。
というのは、道から東の方へ入ってゆくと、1メートルばかり下がったところの荒れた帯曲輪に入ってゆくと…
ここから二の曲輪に登るらしい急坂が、わずかながら掘り込まれているのが見える😮
ここが本来の虎口…か?
この帯曲輪へは、道が外へ出て少し下ったあたりに、水平に走る段になって刻まれている。
曲輪の端を東へ回り込むように進んで入ってゆくようになっていた。
この段は一部が道に削られたようで、どうなっていたかはもう分からないだろう…
二の曲輪の外側は段になっていて、高さは3メートル無いぐらい。
平城は周囲との高低差を取るのが大変そうで、築くのも守るのもキツかったろう…
道をさらに進むと城から出てしまう。
二の曲輪の裾から大きく外に広がるスギナの園、これはもともと堀のあった場所らしい😮
この堀跡は、西の方にも続いているらしい。
ただし、奥は人の家の庭のようなので、これ以上は踏み込めない。
さて、この堀跡の向こうには外曲輪が広がっているが、城内から入ろうとするとヤブを突破してゆくしかない。


よそ者が入り込める雰囲気ではなさそうだったので、これで退散することにした。
公園化され、改変されたらしいところも見られるが、高低差とか堀や土塁などの名残はあちこちに残っていて、戦い抜いてきた城の面影は見ることが出来た。
それにしても回りとの高低差は、実城のところで2階建ての住宅の屋根ぐらい、二の曲輪とか外曲輪に至っては2〜3メートルしか無い。平地に城を築く厳しさを実感するところだった。
ともあれ、これだけ残って往時の様子を妄想できれば、もう十分っす😊
★上条城
新潟県柏崎市上条
実城に駐車場があるが普通車では急坂すぎて登れなかった。他にはスペース無い…
平城
(2025年5月8日 記)