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小山城は甲府盆地の南東の方、中央道の一宮御坂ICと笛吹八代SICの中間付近の南側の丘の上に構えている。方形の曲輪一つだけの城だが周囲を囲む土塁が高く、その外も空堀が取り巻いている、しっかりと普請された土の城。笛吹市指定史跡。

室町時代中期の15世紀中盤には築かれていたようで、宝徳二年(1450年)には城主の穴山信懸(のぶとお)が武田信重を攻め自害させたと『甲斐国志』にあるとか。戦国時代に入って大永三年(1523年)には南の鳥坂峠を越えて侵入してきた南部氏の軍勢に陥落させられ、城主穴山信永は常楽院で自害したとのこと。さらに後の天正十年(1582年)の天正壬午の乱では、御坂峠から進出してくる後北条氏への備えとして徳川家康が鳥居元忠に修築させたとのこと。中世から近世の直前まで最前線で戦い続けた城というところか。


この日は笛吹川方面の奇巌城仏沢城に始まって4城目で、城に着いたときには16時近くになっていた。

まだシロウトだった6年ぐらい前に訪問して以来なので、目が肥えただろう(?)今見たら何が見えてくるか…

かえってフシアナになってる⁉️そんな…😅


現在位置(Googleマップで)

城は高い土塁に囲まれ、東南東辺の真ん中に虎口を開けている。

土塁が高くて、堀切のよう😮


傍らにはトイレらしい小屋、その前に説明板が立っている。


小屋の向こう側の土塁。

周囲を土塁と空堀に囲まれているというこの城だが、さすがに周囲の低い北側は土塁のまま落ちているようす。

往時は違っていたかも知れない。後ほど…

虎口の南側には駐車スペースがあるが、その向こう側は空堀になっている。クサノオウが黄色い花を咲かせてるな💕

往時は虎口の前までは空堀が伸びて、土橋で城内に入っていた?


南端で折れて西に向きを変える空堀。


内側の土塁上には青い小屋掛けが建っている。

それにしても高い土塁だ😮


西に向きを変えた空堀は、少し先で土橋状に埋められている。

こんな様子もシロウト時代に来た時にはヤブで見えなかったが、今ではクッキリ✨


そして、南側の虎口…


堀は20メートルぐらい埋められ、土塁もそれに合わせて崩されたのかな…?

虎口にしては広すぎるな…🤔


この切り広げられたらしい虎口の向こう側へ行くと、空堀が復活している。

しかも、さっきより断面がだいぶデカい😮


それだけでなく、外側の土塁も残っている😮


虎口の東側では、外を通る道が城の方に寄っているところを見ると、そっちの方の土塁は道路工事で崩されたかな…?


南西の端までゆくと、空堀はふたたび直角に右に折れて北に伸びてゆく。

その折れ曲がりの堀が広い😮


内側の土塁の隅、よ〜く見ると外側に少し張り出しているようだ。

わずかだが横矢を利かせて、櫓台にしているか。


北へ向きを変えた土塁は、北の方で天端が少し下がっている。

中の空堀の底はそのまま続いている…


もう八重桜が満開✨

麒麟かな?



で、その足元の堀をウネが渡ってら🤯

これは、知らなかった…


さらに北端までゆくと、外側の土塁はほとんど無くなって、道になって城の北側へ回り込んでいるようだった。


で、甲府盆地に向かって低くなっている北側にも、ちゃんと空堀入ってるやんけ🤯


外側の土塁も残っているが、天端が凸凹になっていたり一部無くなったりしているようだ。


土塁が無い中央あたりは、帯曲輪のようにも見える。


そして東側の端は外側の土塁にすぼめられるようにして終わっているが、このすぐ外を道が登ってきているので、もしかしたら道路工事あるいはそれ以前のどこかで崩されたのかも…


さて、周囲の空堀を見て回れたので、いよいよ郭内へ入るか✨

下の道に降りて、虎口へと戻った。


笛吹 小山城 その2に続く)

 

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(2025年4月25日 記)