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長岡城は盛岡から国道396号を南下し、国道456号を南に分けたすぐ先の館山という小ピークを占めている山城。現在の国道は城域の西側を通っているが、旧遠野街道が東側を通っていて、城への入口も旧街道側にある。

歴史は詳しく明らかにされているわけではないが、最初は河村氏の持城で、のちに斯波氏のものとなった。戦国時代末の天正十六年(1588年)年に南部信直が斯波方の氏家又太郎の守るこの城を攻め落として接収した。豊臣秀吉の厳命により南部氏が実施した破城の目録『南部大膳大夫分国之内諸城破却共書上之事』では廃城されたことになっている。ただしその記述は『同(志和郡之内) 長岡 平地破 南部東膳助持分』となっているが実際は山城であり、一部が残った可能性があるらしい。後の慶長五年(1600年)に斯波氏の生き残りが再起を図った際にこの城に入ろうとして敗れるという事件があり、この時点で城はまだ機能していたと考えられるとか。


ふつうの週末だったが、盛岡からレンタカーで遠野に向かう途中にこの城の標柱を見つけた。帰り道に時間が取れたので立ち寄ったが途中から本降りの雨になった…😅

今回歩き回ったようすをもとに遺構の配置を地形図に描くと、こんな感じになるか。

主郭の周りいくつかの副郭を配したうえで周囲を帯曲輪で囲うなど、いわて沼宮内駅チカの沼宮内城に似た特徴をもつ…?

(電子国土webの図上に筆者作図。

 見た目で描いているので正確でない

 

現在位置(Googleマップで)

登り口と車を停める場所があるかと不安になりながら進んでゆくが、この道は旧遠野街道という。

やがて、館山の方へ登ってゆく道が現れ、ここに城跡の標柱が立っている。

 

この脇に車1台ぐらい分のスペースはあるが、草ぼうぼう…💦

道は軽トラぐらいなら通れそうな感じで、それほど急坂でもなく植林地の中を登ってゆく。

そして、主郭の北に通される。

 

右側に長岡配水池があり、その手前側が北の副郭なのだろうか…

 

左側には主郭の城塁が立ち上がっている。

高さ3メートルぐらいの切岸加工されたらしい段。

 

ここから、まずは西の方へ。

奥へ入ると、主郭の西側に少し回り込んだところに、鮮やかな紅葉。

帯曲輪状になっているが、そこで終わっているようだ。

 

ここで終わっていると思ったが、じつはずっと奥まで続いて主郭の南側へ回り込んでいた😮

それは後ほど…

 

配水池の脇から急斜面を下に降りられるようだが、その周りはヤブで埋もれて、何も見えない…

西の方に空堀が走っているようだが、諦めた。

ここから振り返る主郭。

 

つづいて、主郭の東側に入ってみる。

北側の副郭と、登ってきた道を挟んで反対側にも半円形っぽい副郭のようなものがある

少し外傾しているか。

ここはどうやら東の副郭下を走る動線の西端が顔を出している場所らしい🤔

 

主郭の裾が道のようになっているので入ってゆくと、東側へ回り込んでから主郭に登っている。

これは虎口?

 

ここまでの道を振り返ると空堀のように見えるが、右側はササヤブで盛り上がっているだけ。

もっとも中を覗き見ると、少し外側で盛り上がって堀底状を作っている感じではある。

 

で、主郭は後ほど…

 

主郭と反対側はヤブでどうなっているかサッパリ見えないが、どうやら数十メートル先まで副郭が広がっているようす。

 

この中を突っ切るのはさすがにイヤなので、ヤブ漕ぎの長さが短く済みそうに見えた南東の方へ凸入💨

ヤブを抜けると外側が一段低くなっていて、そちら側もしっかり削平されている。

 

そして、周りがササからシダに変わるあたりで平場が終わり、鋭い斜面になる。

 

空堀み〜っけ🙌

空堀ではなく帯曲輪のようだったが…

 

5メートルぐらい下に、空堀なのか帯曲輪なのか俯瞰しただけでは分からないが、明らかに帯状の構造物が横たわっていた。

ちょうど下に降りられそうな緩い斜面があったので、そこから下に降りてみる。

 

ここは、幅10メートル近くもある、かなり広い帯曲輪だった😮

北の方はかなり先まで続いているようす。

 

南の方は、主郭や副郭の切岸にぶつかって終わっているようす。

違うかもしれない…

 

北の方に帯曲輪が続いていそうなので、行ってみる。

途中で左右に分岐し、左側は副郭に向かって登り始める。

 

この外側が、浅い空堀状になっている。

 

最後は、左側が副郭に登って終わっている。

 

ここから覗き込む副郭はヤブヤブではなく向こう側まで見通せるが、主郭側の数メートルが猛烈なササヤブになっているようだ。

 

実際には、登ってきたところの左側の半円形の広場から切岸の下を通って入ることが出来る。

ともかくも、虎口の外側が空堀になっているので、そちらへ降りてみる。

浅い、箱堀状の断面。

 

しかし、外側の土塁は非常にしっかりと残っている。

 

その土塁、副郭の虎口真ん前に開口部がある😮

 

よく見ると、そこから副郭虎口に向かって土橋で渡っているようだ😮

これだけでは早合点だろうが、本来の大手はこっちか?

 

ここから、堀は北の方に向かって下り始め、断面は大きくなる。

 

そして、そのまま斜面を降りているらしいが、断面は分かりづらくなる。

 

ふと左側を見ると、副郭の外側を北から回り込んで来て、虎口の方へ登ってゆく道らしいものが見える😮

 

登ってみると、ここも空堀状。

北の方、城の入口の方角から回り込んで来ている。

 

外側はしっかり土塁でガードされつつ、副郭の虎口の方へ登ってゆく。

 

ここを城の入口の方に進んでゆくと、堀は次第に浅くなって帯曲輪状になり、副郭の北側を回り込んで城入口横の半円形の広場に出る。

このあたりは副郭の切岸が立派✨

 

これで、ちょうど主郭の横に戻ったし。

主郭に登るか…

 

紫波 長岡城 その2に続く)

 

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(2024年12月2日 記)