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花館は遠野の町から東に5kmほど、北上山地の主稜線上の笛吹峠あたりから南西に降りてくる尾根の末端にある。館跡のすぐ西側が沢田、飯豊などの集落がある平地になる。

歴史などは全く分かっていないが、『遠野物語拾遺269』に載せられた「飯豊館」であるとも、豪族安倍氏が前九年の役にあたって築いたともいわれるとのこと。概ね古代の城郭と考えられているようだが、発掘調査などは行われていないようす。


初日は午後2時すぎに登り始めたものの取り付きを間違えて館域に入るまで1時間ほど空費してしまい、館の北半分を回ったところで日没時間切れになり、翌朝に再挑戦した😅

この記事は2日分を再構成して作ったので、一部時系列通りになっていない。


初日は晴れていたのに翌日は雨、足元注意のコンディションに変わっていた…


現在位置(Googleマップで)

入ってゆくと、左側に溜池がある。

その横に少し余地があったので車を停め、溜池を回り込むように山に向かう道に入ってゆく。

すぐに防獣柵があるが、この扉がまた二重の縛りで厳重に止められている。入って良いのか躊躇してしまいそう…

2日間とも出る時には入った時と縛り方が違っていた。地元の方が見回ってるのかな?近くで工事中らしく、ここも利用可能か確認は取れていないので注意。


柵を越えると、麓の方は開発されていたが山中は植林地のようだ。

まだ遺構は見えない。


この道沿いには館跡から何本か竪堀が落ちてきているが、道が山あいに入ってすぐ、左側に枯れ木が突き出ているところから登るのが良い。

ここからは道は無く、踏跡や地形が頼りになる。


一段登ると、上に登ってゆく竪堀が見えてくる。

自然の大きな谷の左端だ。

この時には上の木の枝にピンクリボンが掛かっていたが、いつもあるとは限らないので注意。


浅くてあまりハッキリしない竪堀…


しかし、右側にハッキリと土塁が積まれていることが、人工的なものと教えてくれる。


途中で右の方を見ると、谷の奥の方を並走するもう一つの竪堀が見える😮


近くまで行くと、今登っている竪堀よりも細身で、枝打ちされた杉などが散乱して見づらくもある。

が、鋭いV字の断面で、上まで突き上げているようだ。


元の竪堀へ戻り、さらに上へ。

登ってゆくと次第に断面が大きくなり、稜線が見えるかというところで緩いS字を描いている。


そして尾根線直下まで来ると、直進方向に堀切、右手に隣の堀切への通路が分岐している。

その間の盛り上がりに曲輪があるようす。


左手後方には道のようなものが伸び、背後には大きな尾根が見える。


この上の方一帯が館跡になるのでどこから入っても良いのだが、今回は主郭の北と南に分けられるように、ここから入ってゆくことにした。

少し入って振り返ると、尾根筋が複数の堀切で区画されている様子がよく見える😮


道のようなものはすぐに突き当たりになり、右へ登ると堀切、左は横堀のようなところの土手外側の土手を通る。

右上の堀切。


左下の方には、いま登ってきた竪堀が雄大🙌

ここからは、南の方に向かって横堀だか竪堀だかが伸びている。
外側の土塁がしっかり見えている。

いや…

横堀と思ったら、麓に向けて下っている😮

ここは外側の土塁が見事✨

そして数十メートル先からは、麓に向けて一気に下っている。
ここも麓の道に繋がっていて、登降できるようだ。

先ほど登ってきた竪堀と並行して降りているような感じだが、ここから登ってくるのは取付きが急傾斜で厳しめだろう。

なお、事前に縄張図は確認しておいたのに、縄張図内の現在地を把握できたのは、館跡の北の方を見て回ってからここを見たときだった😂

方向オンチここに極まれりだが、そうでなくてもここは土木遺構が複雑に張り巡らされていて、現在位置の把握が非常に大変💦

ヤブが少なく山麓や周囲の景色がよく見通せるので方向感覚を失うことは無いだろうが、記録を疎かにすると現在位置を見失うかもしれない。

 

 ここから、まずは北の方を見て回ることにした。


遠野 花館 その2に続く)

 

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(2024年11月27日 記)