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一戸城は町の中心から北東に1km弱、国道4号一戸バイパス沿いの馬淵川右岸の斜面上に広がる段丘にある。

このあたりに一族を配して同族連合をつくっていた南部氏のうち一戸氏が居城としていた。戦国時代には流転の末に南部信直の腹心北秀愛が城主となり、天正十九年(1591年)の九戸政実の乱では九戸勢の攻撃に耐えた。乱後に廃城とされた。

城は館と呼ばれる5つの曲輪が堀切のような谷で仕切られていて相互をつなぐような構造がなく、単郭またはそれにちかい城が寄り集まったようになっている。

遺構もあちこちに散らばっているので、まずは車を停めておく場所を確保した後にあちこち歩き回ることになるだろう。


ここも九戸城まつりでスタッフの方に教えて頂いたところで、姉帯城に続いて立ち寄ってから盛岡に戻ることにした。

 

現在位置(Googleマップで)

幸い、国道4号一戸バイパスから入れる駐車場があるので、車を置く場所に苦労することはないだろう。

ここは城内でいちばん北に位置する北館という曲輪の下段らしい。

奥の方に上段への登り口が見える。


上段へ登るところは近年整形されたのだろうが、段になっているところに城の面影を残しているか。


北館の上段はソフトボール場よりやや狭いぐらい。

東側に大きなタンクらしい建物がでんと座り、曲輪の縁には石碑がたくさん並んでいる。


西の方に南に開口する虎口状があるが、もう何が遺構で何が後補だか、よく分からない😂


中央の塚みたいな盛り上がり。

それでも、西側の市街地に面した急斜面は、自然の段丘崖を利用したのだろうが、高さもあって城の面目躍如といったところ。


つづいて南東の小館だが、ここは国道4号一戸バイパスにぶった切られている。


残った部分も、国道の向こう側はビニールハウスの並ぶ畑、こちら側は濃いぃヤブだった…

突破すれば、国道にぶった切られた西側の平場は残っているようだが、これじゃムリ💦💦


しかし、西隣の八幡館との間は、かなり深く抉られているようす。

次はその八幡館だが、北館との間は堀切というより浅く広がった谷のようになっている。

間を車道が下っている。


小館との間はしっかりした空堀になっているが、道路脇に小屋掛けや駐車場などが並んでいる…

ここは、何もない八幡館側の切岸の写真だけにするか…


八幡館上はビニールハウスの並ぶ畑らしく、登路はあるが入るのは遠慮した。

 

南に隣接する神明館は、さらに人の家の庭感がプンプンする。


一戸バイパス側からは、切岸を観察するのもムリぽ。

南の常念館の方から回り込んでみる。

こちらも傾斜のある住宅地で、遺構らしいものを見つけるのは至難の業。

西へ進んでいる間、神明館には近づくことも出来なかった。

かなり下ったところの左手の斜面の上が、最南端の常念館か。


西側へ回り込んでみると、切岸らしい斜面もある。


ここが城域の南端。

あとは反対の西側から戻りつつ遺構らしいものを探すことにする。

神明館の裾を北上する道に入るが、両側がびっしり住宅地💦


現在位置(Googleマップで)

だが、途中に1本だけ神明館に登れそうな道があった。

急傾斜地の掲示が目印で、その前を右にカーブしてゆく。


登ってゆくと、神明宮なる神社が見えてきた。

ここへの参道だったか😮


これぞ天の助け、という神明宮✨

これが無かったら、余所者が入り込める城らしい場所がほとんど無いところだった…


その横を通り抜ける道が、堀切か虎口のような感じ😮

となると、この向こう側が神明館の主郭的なところ、こちら側の神明宮は副郭相当か。

ここから左側には、わずかだが垂直の土壁になっているところもある。

ここの土は、九戸城と同じく急傾斜に耐えるようだ。


ここから神明館に入ってゆく踏跡のようなものはあるが、この先も耕地なのか何なのかよく分からないので、踏み込むのはやめた。

こういう、明らかに山林でなく耕地などになっているらしい場所に、やたらと踏み込むのは怖い。

 

よって、ここまで。

 

遺構の残りはソコソコだし宅地化などの波にのまれて見学できる場所も限られるしで、楽しむとなると往時の様子を妄想することが中心になるだろうか。

目に浮かんでくるのは、北館や神明館の西面の切り立った斜面や上から俯瞰する一戸の町の様子、そして各館の間に入り込んでいる谷に押し寄せる敵と守る城兵のせめぎ合いの様子だろうか…

 

★一戸城

岩手県二戸郡一戸町一戸北舘

北館の国道4号沿いに駐車場あり。

丘城

 

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(2024年10月8日 記)