姉帯城は一戸の町から南のほう、馬淵川が北上山地から国道4号沿いに出てくる少し手前の右岸、西に伸びてきた尾根の末端にある。南は蛇行する馬淵川が削った崖、北には馬淵川に平行する沢が流れ下る天然の要害。
九戸氏の庶家だった姉帯氏の居城。九戸政実の乱で真っ先に豊臣秀次率いる軍勢に攻撃され、兵280名で勇戦するも全滅した悲劇の舞台でもある。乱の後に破却された。
いまは一戸町指定史跡で、西の郭が公園に整備された。
残暑逃れに九戸城まで遠征し、城まつりにてスタッフの方に教えていただいたので、最終日初っ端の目標にした。
県道14号に城入口の案内が立っているので(Googleマップで位置表示)、ここから山の方へ入ってゆく。
途中の辻は全て山の方山の方と進み、最後は山裾に立つこの案内に従って右へ登ってゆく。
道は普通乗用車では一部車幅ギリギリだが、何とか入って行ける。
しばらく登ると分岐になるが、直進方向は倒木で塞がれ、右に曲がると狭く勾配が急になる。
よく見ると、右脇に小さく「駐車場」という標柱が立っているのでここに車を停める。
右に入って急な道を登ってゆくと100メートル少々で、唐突に説明板が立つ平場に出る。
ここが東西2つのうち西の郭とのこと。
説明板が北端の入口前に立っている。
地形図入りなので助かる。
南側の川沿いが見るからに急傾斜そうで、基本は東から張り出した尾根末端のこの急斜面を取り込んだ城だな…
西の郭はかなり広く、サッカーも出来そうなぐらい。
南西の端の方には、発掘調査の説明などが掲示された あずまやもある。
パンフレット見学者ノートなども置かれ、よく見ると背後の馬淵川に面した縁は柵もされている。
公園化しようとしていることが窺える。
西の端は一段低い半円形。
馬淵川に面した斜面を、柵越しに眺める。
🌿🌿の生命力が旺盛だが、相当な急斜面なことは見える。
これを防御に取り込んだことがよく分かる。
東の端には、鳥居と木碑が立っている。
木碑は、九戸政実の乱で豊臣勢に小勢で立ち向かい討死した、最後の城主姉帯大学兼興の供養塔だった。
近年建てられたっぽい。
鳥居の奥には土塁が走っていて、斜面に赤い神社。
ここから東の郭へ踏み込むのはやめておくか…
北の方へ回り込むと、土塁の高さは2メートルぐらいだった。
けっこう立派…
で、その背後…
でか〜っ🤯
城の中央を南北に走って東の郭と西の郭を区画する空堀は、怖ろしくでけー断面だった。
深さ5メートルはあるだろし、両側も45°くらいの鋭い薬研のV字だった。底は少し埋まっている。
北側は、竪堀状になって降りている。
駐車スペースから登ってくる道の途中に降りられるので、いざという時にはエスケープ出来る。
じつはこの空堀、登城道からも左手上の方に見ることができる。
そして登ってゆく踏跡もあるが、城の位置に確信が持てなければいきなりここから突っ込むのはムリだろう。
ちなみに、ネット上には説明板の縄張図があるのでじ事前の確認はできる。
さて、この空堀には東の郭、西の郭の両方とも北端から降りる踏跡が付けられているが、斜面を斜めに下ってゆくのはどう見ても往時の動線ではない。
斜面の適当なところから降りると切岸を破壊することに繋がるので、今ついている踏跡以外から登降するのは避けるべきだろう。
というわけで、踏跡を辿って東の郭の方へ登る。
登ると、曲輪には一気に登らず、北側斜面の中腹にあるテラスのような緩斜面上に出る。
すぐ前には、麓から登ってくる竪堀状が刻まれている…
正面に立ってみると、それなりに下へ続いているように見える。
ただ、下の登城道に降りるあたりで斜度が増しているし、🌿🌿になる。
ここが東の郭への動線であったかも知れないし登降出来ないことは無いだろうが、道も整備されていないので、避けた方が良いと思う。
さて、テラスのような緩斜面の先に東の郭への登道があるかも知れないと思って、東に進んでみる。
何となく、帯曲輪だったような感じ。
ここから見上げる東の郭は、まさに絶壁の上😨
斜度は45°くらいだが、威圧感ハンパない
途中から上下段に分かれるような感じになるが、上段の方から曲輪に登る道は無かった。
下の方へ入って、段の脇を進む。
ここは東の郭東端にあるという二重堀切から登れる動線がありそうと踏んでいたが、近づくにつれて斜度は急になりヤブや倒木も濃くなってきたので、これ以上はムリと判断し引き返した。
この山の土は関東ローム並みに滑るので、急斜面を直登するのは不可能だろう。
テラス状の西の端に戻って、急斜面に付けられた踏跡を登ってゆくと、そこが東の郭だった。
西の郭と比べると削平が甘く、東に向かって高くなっている。
いま越えてきた空堀を俯瞰する。
西の郭の土塁天端より高い位置にあるが、曲輪を守る土塁などは無い。
100メートルぐらい入っても景色が変わらない😂
西の郭より相当広いことが足でも感じ取れた💦
そんな事を思っていると、前方が唐突に…😮
空堀だな…
美すいぃ〜✨
仕切る土塁も何もなく、いきなり正面にどデカい空堀が現れた。
しかも、ここまで🌿🌿がチビチビ生えていたのが、堀の周りにはほとんど草が生えておらず、キレイな断面が拝めるのもポイント高い✨
ここは南端に登降する踏跡がある。
掴まる木などが少ないので、ここも十分に気をつけながら降りる。
ここは二重空堀だが、手前側の1本しか見えない。
底に降りると、これまたキレイな薬研のV✨
尾根線から南北両側へ行くと底が下がってくるが、南側は断面が大きくなって、雄大さモリモリ🙌
北側は両側が急に低くなりつつ、ヤブになって降りてゆく。
外側の条との間の土塁へも、南端から登る。
高低差が小さくなった斜面を登ったあとは、木に掴まって尾根上を登る。
外側の空堀は、幅、深さとも内側の半分くらいか。
疎らにササで覆われている。
内と外を分ける土塁は、天端が郭内より高い。
外側も同じくらいの高さで、この尾根自体が東に向かって高くなっているようだ。
サイズが大きすぎて、広角レンズのワイド端でも両側の空堀がぜんぜん入らない😂
城域はここまで。
足元注意しつつ撤収…
金田一城と似て大きな堀で削平地を分断しつつ曲輪の広さを確保していて、縄張りは単純なように見えた。
このあたりで訪問した城はたった5つで、分かったような気になるのは早いのだろうが、渋民の下田館もそんな感じで、このあたりにはこんな感じの城が一定数あるのだろうか…
それにしても、いかに要害堅固といっても兵たった280で6万ともいう豊臣勢と戦わなければならなかった姉帯兼興の心中いかばかりであったか…
言葉にならん😢
★姉帯城
岩手県二戸郡一戸町姉帯舘
登城道の分岐点が駐車スペース。普通車なら何とか入れる。
山城
(2024年10月7日 記)