トップページ 都道府県別索引へ

 

沼宮内城は東北新幹線いわて沼宮内駅から北2kmほど、北上山地から西に伸びてくる尾根の末端に構えている。西に北上川、南に大坊川の谷という立地で、いまは城山の下を国道281号のトンネルが通っている。

いまの神奈川県山北町にいた河村氏から出た沼宮内氏の居城だったとのことで、奥州仕置に叛いた九戸政実の乱のときには豊臣勢が駐留していたとか。

その後の廃城令により廃城されたとのこと。


全体の縄張りは、こんな感じか。

ログなどを取らずにほぼ見た目でポリゴンを並べただけなので正確ではないが、技巧的よりは曲輪の面積を確保することを主眼に置き、防御は尾根末端の急斜面を利用しているような感じか…

(電子国土webの図上に筆者作図)

 

北いわて遠征の初日ラスト、沼宮内まで北上して3城目💨


城への入口は少しわかりにくいが、この交差点(Googleマップで表示)から少し入ったところに城山公園入口の案内が立っているので、ここへ入ってまっすぐ登ってゆく。

途中から道が狭くなって真ん中に草が生えてくるが、普通乗用車でも問題ない。

 

現在位置(Googleマップで)

城の探索は、このコンクリの橋から始まる。

 

寺院の池などに架かる橋に似せたデザインで、1979年に竣工した「古城橋」という橋。

この橋の下が、じつは城の東側を守る堀切。

橋の上から眺めてみるが、ちょっと🌿🌿で分かりにくい…

 

かなり大きな空堀のようなので、底を見通せる場所を探してみる。

 

橋を渡ったすぐ左側の尾根にも、一回りぐらい小さいぐらいの堀切のようなものが入っている😮

 

反対側は、かなり下まで緩やかな斜面が降りている。

縄張りの感じは全然違うけど、見た感じがちょっと南会津の鴫山城の御平庭に似てる…?

 

ここから東の方へ行くと、先ほど渡った古城橋の下を通る空堀に繋がる。

ただ、今はピンクテープで規制されている…

 

古城橋から道なりに進むと、ほどなく左手の尾根が大きく落ちている😮

巨大な堀切のようにも見える空間。

 

ここから右側の高まりに入ってゆく道、そして右前方の尾根向こう側に入ってゆく道が見える。

尾根を穿った巨大な堀切のようでもあるし、枡形みたいな空間にも見える…

 

傍らに説明板。

 

さて主郭へ行こうと少し入ってみると、尾根の向こう側に降りているゆく道がある。

遊具が並ぶ平場が見える。あそこも曲輪か。

 

主郭に登る前に、まずはそちらへ💨

整備は粗放なようで、思ったより🌿が深い。

ヌスビトハギが多く、けっこうな数のタネがズボンに付いた😂

 

曲輪は南北に細長いようだ。

周囲はほとんど猛烈なヤブで、土木の跡を見ることは出来なかった…

 

では次は、主郭の北側に登っている道へ💨

 

ここはわりと東西に細長い、三日月型をした曲輪だった。

 

末端からはだらだらと緩傾斜で降りていて、古城橋から先に伸びる道と繋がっている。

こちら段々に連なる曲輪らしい。

 

緩斜面を降り始めると、南の方へ入ってゆく帯曲輪のようなものが足元に見えてくる。

 

へ〜😮

なかなかの絶景✨

 

降りてみると、幅4メートルぐらいで南に伸びて、先のほうが少し広がっているか。

 

そして、主郭から南に派生した尾根が降りてくるところまで続いていた。

 

この下の斜面、比較的土がよく見えるので下を覗き込んだら、狭い帯曲輪があった。

 

この曲輪の下の斜面はそれなりの傾斜、30メートルぐらい下の麓まで落ちているようす。

いまは樹林で眺望はないが、樹木の無かったろう往時なら沼宮内方面を見張れる場所。

 

帯曲輪の末端からは、東に向かって何やら道のようなものが水平に伸びている…🤔

 

この道は尾根を東へ回り込むのかと思ったら、右から登ってきた主郭への道にぶつかった。

すぐ左が、もう主郭の虎口らしい。

 

右手には、堀切のように尾根が抉られているところがある。

 

よく見ると、その外側には尾根が続いている。

この尾根は南へ伸びているので、そっち側を見張る物見台みたいなものがあるか…?

ここから見たときはズブ濡れのヤブでとても入れそうにないと思ったが、歩き回っているうちに入れる場所を見つけたので、入ってみる。

堀切の隣は、自然地形と変わらないような丸い尾根。

 

少し入ってゆくと、削平されたらしい空間になっていた。

 

主郭へ登るところは、門構えが立てられそうな感じではなく、広さのある緩斜面がそのまま登っているような感じ😮

あまり見たことのない工作…

 

主郭は、これまた東西に細長い。

テニスコートの長辺短辺をそれぞれ倍にしたぐらいか。


東の端の北側、先ほど虎口のところに入っていた堀切の奥には、六畳一間より広いぐらいの空間があった。

先ほどの浅い堀切は、ここまでの動線でもある?


主郭の北の方は、少し高くなっている 

西の方に土塁。


この土塁は北西に行くにしたがって高くなっている。

主郭北端の石仏を収めた上屋の横に、上に登る道が掘られている😮


上に登ると、天端は幅7メートルぐらいありそうだった。

ここが城内最高所で、沼宮内民部之城趾という石碑が立っている。


さて、あとは西の端だけ見て退散するか…

退出する前に、主郭の北端まわり。

下から普通に登ってくると、最初にこの光景を目にすることになる。


さて、古城橋からつづく車道をさらに西へ。

といっても轍すら完全に🌿🌿の中に没して、地面の見えないような道…

国交省の雨量観測所の前あたりから、西端の平場が広がる。


🌿🌿は膝下ぐらいまで伸びているので、出来るだけ浅いところを探して通過する。

何しろ本降りの☔、膝から下はもうビショ濡れ…

 

曲輪の発端は、いかにも舌状台地の先端に築いた城らしい形。


そして、この下…

 

やっぱイイ場所選ぶよなぁ🤗


部分的に崩れてさらに急峻になっているところもあるが、この平場の下に落ちる斜面の角度がだいたい土の安息角ぐらい。

山稜の突端、三方が急斜面になっている位置を上手く選んだもんだ✨

この立地と規模が、秀吉のお眼鏡にかないつつ警戒されたか、九戸政実の乱鎮圧のときには鎮圧軍の駐屯地となり、乱後にはお取り潰しにされた…


防御は尾根末端の急斜面に任せて、尾根基部にあたる古城橋の堀切や尾根上の削平など最低限の土木工事で堅固さと広さを両立させた、素朴だが実用的な城という印象だった。

公園にはなっているが人の訪れは稀な感じ。もっと知られても良い城だろうなぁ…🥺

 

★沼宮内城

岩手県岩手郡岩手町沼宮内

主郭への登り口前、説明板のところに3台分程度のスペース。秋季はヌスビトハギ多し。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ

 

(2024年9月27日 記)