塩川城は佐久と丸子を結ぶ千曲ビューライン(広域農道)が小諸市に入ってすぐのあたり、小諸大橋あたりの千曲川右岸の段丘上にある。東〜南の方を支流の北川が峡谷を刻んでいて、これらがつくった段丘崖を取り込んでいる。
歴史などはまったく不明で、発掘調査なども行われていないようす。ただ外郭部に「越後堀」、主郭部に「城の内」など城に由来すると思われる地名が残っているとのこと。またこのあたりには中小の城郭がいくつか並んでいるようす。
主郭部も外郭部も畑となっていて、余所者には訪問しづらい城だろう。
龍岡城、田口城と佐久あたりの城攻めで幕を開けた三連休の遠征だったが、二日目は長野盆地方面に行きたかったので少し西へ移動することにし、途中で立ち寄った。
城に入る手前の畑地の中に墓地があり、そのあたりから南西に向かって「越後堀」なる堀が入っているそうだが、周囲は墓地に畑と余所者が入り込めそうではなかったし、道からは全く見えなかったので写真は無し。
ここはスルーして、「城の内」と呼ぶらしい城内に向かう。
墓地を過ぎて少し進むと、道が「?」を描くようにカーブし、深い沢のようなところを土橋状で渡ってゆく。
って、下の沢…
でけぇ〜🤯
それは、幅15メートルぐらい、深さも5メートルはありそうな、巨大な空堀らしかった。
ここは土橋を渡った左側から降りることができるので、降りてみた。
もともとV字谷だった底をさらに掘り下げたような感じ。



この虎口を少し入ると、左手の上の方にある墓地の向こう側を通って北川の段丘崖の方に入ってゆく道が出ている。
この外側は墓地になっているが、一段高くなった曲輪のようなところ。
道は直線的に掘り下げられた空堀状だが、どうも断面が新しい感じがする。
それでも、ここへ入ってゆくと城内の他の場所では見られないものを見ることが出来る。
それは…この急斜面だ。
城の東側には北川が深い谷を刻んでいて、この城はこの崖を防御に取り込んでいる。
他の場所でこれを見ようとすると畑を突っ切らないとダメとか猛烈なヤブの中とかなので、ここで見ておいたほうが良かろう。
なおこの道は、100メートル弱入った尾根の末端あたりで終わっていて、谷へは降りていなかった。
ここから先が、城の内に入って最初の曲輪。
砂利道の左に墓地、右は森の中のヤブが広がっていて、城らしい雰囲気はほとんど失せていた…
この堀切を過ぎると、道が二又に分かれる。