洲崎館は上ノ国町の中心地から北に1km足らずの国道228号沿いの海よりにある。
コシャマインの乱で力をふるった蠣崎信広が、乱のおきた1457年に築き、5年後には今の砂館神社の前身となる毘沙門金像をおさめた堂を建立したが、ほどなく南の方に勝山館を築いてそちらに移ったという。
発掘調査が何度か行われていて、砂館神社あたりから南側に土木遺構や13〜16世紀頃らしい陶磁器などが見つかったとのこと。
国指定史跡「上之国館跡」の一つ。
朝から比石館、勝山館、花沢館と調子よく回って、ここが4つ目だった。東京よりはぜんぜん涼しいがそれでも昼の日差しは強烈だった💦
館跡の正面に立っている、砂館神社の鳥居。
その左側に説明板が立っている。
早速、境内に入ってみる。
すぐに左へ登ってゆく築堤の道が見えるが、発掘調査中につき立入禁止。
その奥側に、寄り添う溝みたいなやつがある…
説明板の縄張図には示されていないものだが、左の道に築堤したことで出来たやつか?
参道を少し奥に入って、左側に手水鉢があるあたりの反対側…
植林の平場だが、ここが南郭の北端あたりで、左側の斜面の上が主郭のようだ。
神社の本殿は、主郭に上ったところにある。
土塁が境内の北東側にあるというので、裏へ回ってみる。
これがなんと、天端まで4メートルぐらいありそうな、巨大なものだった😮
そして、その北側には空堀とも帯曲輪とも取れる空間が…
土塁の南側に入り込んでみると、削平されていないような丸く盛り上がった空間になっていた…
ここから見上げる土塁、高さがありすぎる上に斜面が大人しくなって、芝スキーのゲレンデみたいな有り様…
土塁の北に戻って神社の境内を見返すと、館の主郭だったところを1メートルぐらいボコッと掘り下げて境内にした様子が見て取れそう…
北側には、これまた自然の凹なのか人工的に掘った空堀なのか、どっちとも取れるのが…
発掘調査では、ここから北に中世の遺構や遺物は見つからなかったらしい。
境内の西側を覗き込むと、こちらも同じくらいの高さの平坦地が続いている。
向こうの方に発掘現場が見えているので、これ以上踏み込むのはまずそうだ。
これで退散っ💨
事前の下調べで遺構はあまり残っていないという印象を持ったが、何しろ遺構はおろか位置さえはっきり特定できない館跡なども多い道南にあって、これだけ残っていれば十分✨
今も調査が進行中ということで、さらなる発見と整備に期待したいところ。
★洲崎館
北海道檜山郡上ノ国町北村
駐車場と銘打った場所は無いが神社入口の隣が短時間なら良いか?
平山城
(2024年10月11日 記)