比石館は道南の西の方、上ノ国町でも南端近いところにある石崎漁港の西側に突き出た岬の先端にある。
国指定史跡の道南十二館の一つで、現存する5館の一つ。畠山重忠から出たという厚谷重政が室町時代に移り住んで居城としたが、1457年に起きたコシャマインの乱にて攻撃目標にされ落城し、重政も海に身を投じて命を絶ったという。厚谷氏はその後も命脈をつないだらしい。
新幹線で新函館北斗に乗り込んで西回りに進んでいた二日目の最初に訪問した。関東は猛暑日ちかい残暑が続いていたが、朝の道南は肌寒いぐらいだった…
館の立地を見るには、北側の漁港付近から見るのが良い。
外海との間に、恐ろしいばかりの絶壁に囲まれた岬が突き出しているのが見える。
あの上に館があった😮
分岐を入ると🌿🌿っぽい道に変わり、広場のようなところをかすめて右前方へ抜けてゆく。
まもなく、右側に説明板の立っているところを通る。
間違えてなくて良かった…
説明板
しばらく進むとヤブの中を抜け、右手に漁港、左手に広大な日本海を望むところに出る。
前方に見えるのが館の主郭、
道が狭くなっているが、ここには堀切があった。
石垣で築堤を築いて道を通した跡が、左側から見るとクッキリ😮
この写真を撮るときに足を置いた場所は海側が土壁でバッサリ落ちているので危険⚠
堀切跡の細くなったところを通過すると、もう主郭。
正面に館神社の鳥居、そして奥に社殿も見える。
傍らに御影石の鳥居記念碑が立っている。
いちど倒壊するか傷むかして建て直された記念だろうか…
小ぢんまりした社殿は、土塁のような盛り上がりに囲まれた中に鎮座している。
往時からの土塁というよりは、神社を今の姿にする時に平坦な曲輪が掘り下げられたような感じ。
社殿の向こう側には曲輪の続きが広がっている。
こっちには土塁も何も無い。
この奥の突端まで行くのは怖いのでやめておいた😅
漁港側の土塁に登ると、漁港や石崎地区が一望のもと✨
小さな駐屯部隊で、がっちり防御しつつ陸も海も監視するに絶好な立地を選んだことが窺える。
これだけで土木遺構はほとんど無いに等しいが、ここは立地を味わえれば満足✨
海の中に突き出した岬の上にあるようすを実際に目の当たりにしてみると、すごい場所を選んだものと感嘆することしきりだった。
★比石館
北海道檜山郡上ノ国町館野
車は館への途中にある草の広場に停められるが釣り人なども利用しているようす。
丘城
(2024年10月7日 記)