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大椎城はJR外房線土気駅から南西に2kmほど、駅前から続く住宅地が終わったあたりにある。平安時代の末期に千葉常胤の父常重が居城としていたと伝わるがその後の歴史は不明とのこと。遺構から見て戦国時代の城らしいことから土気城を本拠地とする酒井氏が支城としていたらしいと考えられているとか。

2013年3月に千葉市により里山地区「おおじの森」の指定を受け、里山保全推進事業による保全・整備が地元ボランティアの協力により進められている。

多くの城址と同じように私有地であり、里山地区指定以前はよそ者の入れない城だった。

人里の城は山林と違って人の家の庭との境界を越えて踏み込んでしまうリスクがある。これは遺構見学が目的でもアウト⚠


9月に入ったこの日は健保組合のウォーキングイベント初日で、ひとまず気合を入れようとJR外房線土気駅から周囲の小城郭もまとめて攻略しつつ本納駅まで徒歩行軍することにした。だが最初に取り付いた立山城は壮絶なヤブのため断念し、気を取り直しての登城となった。

シロウト時代の2019年2月に登城しており、これが2回目。


現在位置(Googleマップで)

前に来たときもそうだったが、この城の入口はなかなかに分かりにくい…

城の北西に小さな治水ダムがあるが、その上を舗装道で通り抜けると先が遊歩道のようになっている。


ここから園路はすぐに左に曲がるが、右側上の方に土塁の末端のような尾根が…

西側の曲輪「西要」から降りてくる尾根のようだ。


芝生で守られた斜面を登ってゆくと、なんと尾根道が現れた😮


本来の順路では無いだろうが、バリエーションコースと思って登ってみるか💨

道はかなり急な尾根の直登、濡れたササの葉で滑りやすいので、慎重に登ってゆく。

少し進むと、マナー看板。


ここを過ぎると少し平坦になり、その先にS字の登りが現れる。


登り切ると、目の前で空堀が折れていた😮


ここは西要の西端外側を守っている空堀で、道はその北端あたりに登ってきている。

虎口のような造作は無く、動線はあったかも知れないが主郭部まで通じてはおらず、土塁の上までだったような感じ。

ここから道は堀の中を南に降りているが、北側は立派な薬研堀✨

竹ヤブの荒れっぷりがハンパないけど…


こちら側は荒れた竹ヤブで進めないので、トレイルをたどって南へ。

空堀状はすぐに終わって、ほんの少しだけ下ってあとは斜面をトラバースする道に変わる。

ここで振り返り。


道はしばらく南へ進む。

途中には、井戸みたいな大きな穴もある…


西側を守る斜面を、まっすぐに進んでゆく。

ごく狭い武者走りが入ってたかな?


南西の角は、ちょっとだけ堀切っぽい。


ここから、木が伐採されて空が見えるところがチラホラ…

幅が広がって、ハッキリとした帯曲輪状になる。


南の麓には谷戸が入って来ている。

こちら側は民家が並んでいて、入ることは出来ない。


このあたりには居館があったとのこと。


しばらく進むと、正面に竪堀状が現れて突き当たる。

左へ登ってゆくと、主郭部に入れるようだ。


左は西要と中央の曲輪とを仕切る空堀なのだろうが、進むにつれて登っている。


南は西へ曲がりつつ麓へ降りてゆくようだ。

先は民家の庭なので、もちろん厳重に封鎖されている。


往時はここが南の虎口だったのだろう。
そして、虎口と横堀が直接つながっているのは、この空堀が城内を行き来する動線でもあったということ。

ここからは東へも行けるが、まずは北に登って曲輪へ入ってみる。

空堀状は上の方でも思ったより深く、城内を南北に貫いている。

ただ、整備されているのは西要の虎口までらしい…


虎口のところに城址碑。


ここから北も刈り払ったらスゴい空堀が見えるんだろうけど、いざやろうとすると大変そう…💦


虎口はほんの僅かだけ土橋のようなものが張り出しているだけらしい。

いたって簡素😮

西要はかなり広大で野球もできそうな感じだが、虎口から真っ直ぐ西への幅5メートルぐらいの他は背丈以上の🌿🌿に覆われていた。

整備ヤバメロだ…💦💦


そんなわけで刈り払われた周りのごくわずかしか見ていないが、周囲を低い土塁で守っているようだ。


この西要から主郭に登ることは到底ムリ…

もっと東の方へ入るには、南へ戻って帯曲輪から行くしか無さそう…


土気 大椎城 その2に続く)

 

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(2024年10月2日 記)