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田沢城は安曇野の東端を流れる犀川の右岸に続く山稜中、県道57号が松本の北の方に向かって山に入り始めたすぐ北あたりにある。海野一族から出た田沢氏が居城としていた。光城から南に派生する尾根上にあって、支城として機能していたとか。

 

猛暑日ちかい暑さの中、光城を首尾よく攻略したが登山道を歩いて降りることは避けて麓に戻ってから、改めて登ることにした😅

 

現在位置(Googleマップで)

登城口は、県道が山あいに入ってすぐのカーブ外側。光城山への登山口になる。


この城は山頂にある光城への登山道途中にあるので、体力と準備があれば2城まとめて往復で登ることもできる。ただし田沢城までの状態から見た限りでは道は荒れ気味で、ハイキングのつもりでは厳しいかも知れない。また田沢城に関する案内は一切無い。

今日は暑さがこたえるので、先に車で光城を攻めてから1城ずつ😅

よって田沢城より上は確認していない。

 

登山道はいきなり階段で始まる。

土が流れ出して階段の役を為さなくなったようなところもあるので、足元注意で登ってゆく。


階段を上りきるとフェンスのあるところに出、ターンするとこんどは浅い堀底道っぽくなる。

ごく短い区間だが…


誰に埋もれて道が分かりにくくなっている場所もあるし、周囲は急斜面なので、引き続き慎重に登ってゆく。

 

少し荒れ気味に見えるが、堀底状の区間。


ここから2回ほどつづら折れを曲がると、前方が本格的な堀底状になる。

相変わらず倒木などで荒れているが…


ここで左側を見ると、左手を土塁で仕切られた明らかな堀状が登ってきている😮


さらにこの堀状、左の下の方から登ってきてから土塁の向こうでカーブしてこちら側に入って来ている😮

往時の大手道で間違いないだろうな…


いまの登山道からどこで分岐してるのか帰りに探ったら、20メートルばかり手前のこんな場所だった😂


左前方から竪堀状が始まって、少しずつ離れつつ登っているが、そんなん見えるかっ💥

 

堀底状に収まった登城道をさらに登ってゆく。

こんなふうに断面がハッキリ薬研のV字になっているところもある。

ここまでしっかりした堀底道は、なかなか見ないな…


振り返る


堀底状は尾根に登りつめたところで終わる。

左側の樹間越しに安曇野のパノラマが垣間見え、道が右に折れると最初の曲輪の虎口になる。

上の方を倒木が渡ってて、見栄えが…


虎口を通ると道が左にカーブしつつ登って、わりと平坦な場所に出る。ここが最初の曲輪。


この曲輪は西側に主郭部が連なっていて、帯曲輪のように城の東側を南北に結んでいるのだが、周囲が🌿🌿で遺構が見えない😂

倒木の下あたりに堀切があるのかなぁ…

というような感じ💦


ともかくも、道は主郭部の東側の裾を素通りして行き、周囲にヤブや倒木が多いので、遺構がサッパリ見えない💦

主郭のあるだろうあたりの道も、こんな感じ…


それでも、主郭部は中央が三重堀切、北端も1本の堀切で仕切られているということなので、コイツらを見逃さないようにすれば、たぶん主郭には行けるだろう。

 

そして…

 

おおっ❗️


見っけたど〜🙌

これ見つけた時はマジで歓喜した。遺構見られずに終わるかとさえ思い始めたところだった…


標高で言えば730メートルの手前あたり、尾根が南へ突き出した中間あたりに、一本の堀切が刻み込まれていた。

この一本だけだったので、恐らく城の北端のやつだろう。じっさいに北端だったことは後で分かった。


何とか見つけられて、まずは一安心😊

 

そして、少し戻って斜面をよく見ると、上の方まで🌿🌿の少ない帯のようなものが登っていた。

こんなところにも容赦なく凸入した先人がいるようで、踏跡になってる😮


よ〜し❗️ここから凸入〜っ💨

 

登りついたのは城の最北端の曲輪で、それはそれは壮絶な荒れっぷりだった😨

倒木が折り重なり、松の幼木で埋め尽くされて、向こうも見えない有様だった…


それでも、中央に土塁が南北に走っているのは見える…


そして、その向こう側一段下は、倍以上の広さのある曲輪だった😮


西側の斜面がどうなっているか確かめるために、倒木や🌿🌿などを避けつつ到達した。

部分的に下草の少ないところがあったが、犬甘城などのように鋭く切れ落ちているのではなく、まるっと斜面になっているような感じだった😮


そして…

 

えっ❓️😮


な、何だこりゃ🤯

ぱ…パネェ…😮


そこには、今まで見たことない…と言ったら大げさだが、想像もしなかったほど巨大な二重堀切が横たわっていた。

倒木がきれいになれば間違いなく一級品だろう。

西へ落ち竪堀も、ハンパないサイズ😮

これが倒木と🌿🌿で荒れまくった中に埋もれていくの、勿体無いぞ〜🙋

 

というわけで、中に入って詳しく見ていくか💨

 

この堀切には北側、城外側から近づいていったが、その一番城外側の条は倒木などに埋もれてほぼ完全に見えなくなっていた。


北側から見た時には二重に見えたが、中央まで行ってみると南側は低い土塁でさらに2条に分かれていた。

これで正真正銘の三重堀切✨


北側の条は西側に落ちる竪堀がハッキリ見えたが、中央、南の条はササヤブに覆われていた😂


ここから主郭へ登る斜面は高さ4メートルぐらいで、一部が土むき出しのかなり急な斜面だった。

堀切を穿った土木工事の跡がよく残っている✨


主郭の堀切に面した側は、高さ2メートルぐらいの土塁で守られていた。


この二重堀切は今の登山道方向の傾斜が緩く、この竪堀から寄せ手が侵入してくる危険があったのだろうか。

だとしたら、この堀切を占拠されると城内が分断されてしまうな…😨

 

主郭は、ごらんの有り様だった😂


この下にも曲輪がいくつか並んでいるのだが、これはちょっと入り込めない…

ここで撤退にした。

 

三重堀切が超巨大な以外は素朴な連郭式山城そのもので、守りも犀川に面した急斜面をたのんだ効率的なやつだが、何しろ遺構がしっかり残っている。

それだけに、倒木で曲輪や土木遺構が見えないほどになっているのが、なんとも惜しいところだろう…


何とか日の目を見るように、と祈りつつ、三重堀切から東へ降りて下山。

それにしても、🍄豊作だな…😮

  

★田沢城

長野県安曇野市豊科田沢

登城口前の県道の路肩が広がっていて、短時間なら利用できそう。

山城

 

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(2024年9月26日 記)