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新宮城は喜多方の町から南西に4kmばかりのところにある。西の方は丘陵、南西に平安時代からつづく新宮熊野神社がある。阿賀川を南西に渡ってすぐには平安時代末に会津の中心地だったともいわれる陣が峯城もあり、長い歴史のある一帯だ。

三浦一族から出た佐原盛連の六男横須賀時連が築城し、室町時代の中頃にかけて居城としていたとのこと。応永二十七年(1420年)に蘆名氏に落城させられ、そのまま放棄されたらしい。

佐原盛連の子は猪苗代氏、北田氏、蘆名氏、そしてこの新宮氏の祖となっていて、この地に三浦一族の血を植え付け、戦国時代まで勢力を持つことになった。

 

この日は東北地方の北側を横断する台風5号を避けて会津に潜みつつ北塩原村の綱取城と柏木城をターゲットに据え、その前に行けるところをと思ってこの城に目をつけた😅

なお、この城は国指定史跡だが指定範囲などを明示するものが現地には一切無く、本丸周囲以外の遺構を見に行くのに水田や畑などの中の道を通るところもある。

山林などと違って田畑に踏み込むと不法侵入になるしトラブルにも発展しかねないので、十分に注意したい。

 

現在位置(Googleマップで)

新宮城には、主郭の南に立派な駐車場がある。

入口にハッキリと看板がある。

 

ここはすでに城内のはずなのだが、ここから見ても城がどうなっていたか、サッパリ様子を窺うことが出来ない…💦

駐車場内に土塁みたいのがあった。作り物と思ってシカトしたら現存だったという😂追試ッ❗️

 

南西に隣接していたという「おんま屋敷」は完全に水田にされたっぽいので、まずは北側の本丸から見て回るか。

 

東西に直線を描く本丸南側には堀が沿っていたようだが、今は猛烈なヤブに埋もれて気配をまったく感じられなくなっている…

段を境に生えている雑草が変わっているのがわずかに名残か…

 

県道の西側に沿って、本丸の東側の空堀が伸びていることになっている。

が、郭内よりむしろ堀の中の🌿🌿の方が背が高いありさまだった😂

それでも、1メートルぐらいの段差になっていたことは見える。

 

真ん中あたりに城址碑が立っている。

 

そして、この城址碑の北側から堀を渡って郭内に入る事が出来る😮

 

このコンクリで固められた道を入ってゆく。

10メートルほどで堀を渡りきるが、ここから左右を見ると、堀と曲輪の境界がハッキリ見える。

南側はそれほど高くないが、郭内が刈り払いされているので地面が高くなっているのが見える。

 

北側は、ヤブのアタマがそのまま段差になっているのが見える。

 

本丸内は、一部の区画を残して刈り払いされている。

何もない、だだっ広い草原に見える…

 

それでも、北端の方に微妙に高い段が入っているのは見える。

土塁かと思ったら、高低差30cmぐらいか、天端が幅広い横座のような空間だった。

 

その外には、主郭の北辺を守る空堀が走っているのだが、ご覧のありさま…😂

 

何しろ樹木が全く無いので、🌿🌿の生命力が遺憾なく発揮されているな…

郭内には他に何も無いので、外に出て北側へ回り込んでみる。

ここには舗装道路が並行しているが…

 

紛れもなく空堀や〜🙌

 

道路が西に向かって少しずつ高くなっていることもあって、本丸と道路の間に掘り込まれた空堀をハッキリ見ることができた。

 

さらに奥へ進んでゆくと…

 

空堀が主郭を囲んでるぅ〜🤗

 

西側の空堀も、掘り込まれた様子をちゃんと望むことができた。

ここからは北辺の空堀もしっかり見下ろす事が出来る。

絶景というほどでもないけど、一番城らしく見えるところかも。

 

畑に入らないギリギリまで南に入ってゆくと、空堀の断面もクッキリ✨

 

北西のカドも、ちゃんと折れ曲がっている。

 

本丸周りで見に行けるのはこれぐらいか。

ここだけが方形館だったら、なんて妄想することも出来そうだ。

発掘調査では二の丸からも出土品があったらしい。


外側には三之丸が隣接していたというが完全に畑になっていて、曲輪がどこまで広がっていたのか知るすべは無かった…

 

駐車場へ戻る前に、本丸の東に広がっていた二之丸を見に行った。

ここは数百メートル向こうの東端を崖線で守っていたとのことだが、本丸あたりからは望めない。

中を通るトラクター道から東端を目指してみた。

こっちは水田やビニールハウスが並んでいる、完全なる耕作地。

 

しかし、広大な二之丸の東端の守りになっていた崖線は、確かに残っていた。

ただ、ここから下へ降りる道はない。

 

ここは、本丸北辺の空堀沿いの道を東に進むか、本丸の南東にある「おんま屋敷」の南から回り込むか、二つの道がある。

おんま屋敷の様子をきちんと見ていなかったので、そっちにするか。

 

おんま屋敷は駐車場から県道を少し南に進んだ反対側になる。

なるほど完全に水田で、どこからどこまでが曲輪なのかもよく分からない有様…

 

しかし、この田んぼの南側へ回り込むと、こちら側を縁取るように水路が走っていた。

ただの用水路にしては深く掘り込まれているし、これは堀の名残で間違いないだろう。

 

この城は、南側に複雑に折れを入れた堀で守っていたという。

そのほとんどは姿がよく分からなくなっており、ここも底に水路を通された上に外側を道で狭められたようで、往時のようすを窺い知ることは出来なかった…

 

さて、城の東側を守る崖線へは、この水路外側の道から降りてゆく。

降りたところは「おんま屋敷」の南東端で、クズに覆い尽くされているものの、突き出すカドは確かに城郭のもの😮

 

さて、ここから崖線の裾に沿って道が伸びているので、二之丸に向かって北上する。

どこもヤブに覆われていて斜面が見えるところが無いが、これならどうだ❗️

 

上の城を守る切岸が延々と続いている様子が妄想できるっしょ✨ 


山城にくらべて平城は遺構の残りが悪いイメージがあって、この城も本丸の周り以外は断片的、というかほぼ完全に無くなっている。

それでも城郭の名残を味わえるところはあちこちに見られ、見学して面白いところだろう。

国指定史跡になったのが2009年と最近で、活用など本格的に考えるのはこれからなのかも知れないが、戦国時代より前の平城の遺構がこれだけ残っているところはそう多くないだろう。

何とか後世に残ってほしいものだ。

 

★新宮城

福島県喜多方市慶徳町新宮

本丸の南隣に広い駐車場あり。遺構は水田地帯に散在しているので本丸から離れた場所では不法侵入注意。

平城

 

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(2024年8月29日 記)