滝澤城は池田町の南の方、県道51号沿いの「道の駅池田」から東北東に1km強の山中に入ったところにある。
古くから仁科氏の家臣瀧澤氏の城だった。戦国時代に甲斐の武田氏が塩尻峠の戦い(1548年)で信濃守護小笠原長時の軍勢を破り、ついで林城の戦い(1550年)で松本一帯を押さえると安曇野一帯も武田氏の脅威にさらされる事となり、この情勢を見て同年夏に城を守っていた小泉兵庫が自ら城を焼き払って退去したとのこと。城はそのまま放棄されたらしい。
この日は真夏日寸前の暑さ、しかも好天だったが陽も傾き雨雲も流れてきて、少しは涼しさを感じられる中で登城スタート💨
登城口の前には、普通乗用車5台分くらいの駐車場もある。
横はマレットゴルフ場らしい。
そして、その上の方にこのあたりの旧跡などを示した案内が立っていて、道はここから登っている。
オフ会など小さな集団で登城する場合には、ここから少し登ったところにも同じくらいの広さの駐車場がある(Googleマップの駐車場マークの場所)
しばらくは、道のない沢沿いを登ってゆくトラクター道のような感じで登ってゆく。
そして、上の方に堰堤が見えてきたところで左に山道がでているので、そちらへ入ってゆく。
登山に於けるケガ等自己責任…だな😊気をつけまっす
ケガなどへでもないと思ってるのでは決してない😂💦
山道へ入ると、いきなり尾根の横っ腹をつづら折れで登る急登になる💦
そんなに高さのある尾根でもないが、平瀬城を登ったあとに眠くて一休みしたあとだったので、キツイったら😂💦
登り始めから10分ほどで、尾根の末端に登りつく。
ここには「クルワ(陣地)」とある手作りの案内が立っている。
ここから眺める安曇野方面。
なるほどね😊
この物見台のような曲輪の背後から、細めの尾根が伸びている。
この尾根はすぐに城山本体に吸収されて、道は斜面をトラバースするように進む。
そして、六畳一間ぐらいの広さがある空間で、正面から北ルートが登ってくる。
ここにも「クルワ(陣地)」という案内がある。
道は右前方へ登ってゆく。
道はかなりの急登で斜めに登ってゆくが、すぐテラスのような場所に出る。
ベンチも置いてあって、ここが2段目の曲輪だろう。
この奥の尾根上にあった段郭を見逃した😂帰りに寄ったのでラストで。
道のないところは荒れているが、やっぱり段郭なことは間違いないようす。
この左下に畝状竪堀群があるというのだが、そんなんムリっしょ💦
ここから南に行って、また一登りしたここも段郭だろう。
ここの北側から折り返して登ると、その先の曲輪には説明板が立っていた。
かなり詳しく記されている。
ただし縄張りについては図だけ…
さらに上へは、説明板の左から道が出ている。
いよいよ急登になって、手も使いたくなりそうなぐらい💦
少し登ると、上がもう曲輪のような感じ。
右に道が枝分かれしているが、すぐ先でロープに規制されているようだ。
けっこうな急斜面を直登…💦💦
そして、山頂部。
「立入禁止危険」という赤い看板が目立っている。
曲輪とは言えないほど狭い空間…
そして、看板の立てかけられている松の大木の足元から向こうが、ゴッソリ崩れ落ちていた…😮
トラロープだけでなく鎖でもシッカリ柵されている。
木の枝などがけっこう邪魔で崩落の全体の様子は撮れなかったが、北側へ伸びる尾根のやせ細りっぷりが尋常でない😨
東側から削り落とされた結果だろう。
そして、南側の少し下がったところから、崩壊の様子を見ることができた。
こ…こえ〜🥶
手前に張られた鎖の向こう側は、バッサリ切れ落ちた土壁になっていた。
下の方が見えているのでそれほどの高さは無いだろうが、足元が突然無くなってはるか下に地面が見える🥶
これ以上踏み込めず、へっぴり腰で手だけ伸ばして撮った😅
ガチ高所恐怖症なのだ😅
ここが恐らく主郭のあっただろう場所だが、往時どれぐらいの広さがあったのか、もはや知るすべが無いと思われるような崩壊の凄まじさだった。
山城がここまで崩れ落ちている様子はなかなか見ないが、この少し奥にある田ノ入城はさら壮絶な崩壊がまさに進行中らしい。
このあたりの山は地質が脆いのだろう。
田ノ入城のところで少し調べてみた。
さて、もう見られるところは無さそうだ。
退散っ💨
途中、説明板のある段郭から降りる途中、つづら折れの向こう側に見える尾根の途中にも段郭らしいのが見えた。
登りでは完全にスルーしたな😅
それに、最初の出丸らしいところを振り返ってなかった…
これが、なかなか絶景だったのだ✨
土塁や堀切がなくても、主郭部からこれだけ突き出した出丸があれば、立派な城だんべな❗️
★滝澤城
長野県北安曇郡池田町滝沢
南北2ヶ所の登城口前にそれぞれ駐車場あり。
山城
(2024年8月18日 記)