トップページ 都道府県別索引へ

 

小沢城は川崎市の西の端、稲城市との境界付近の三沢川右岸の低山にある。JR南武線稲田堤駅から城内を通って小田急線読売ランド前駅まで「多摩自然遊歩道」が通じている。

生田緑地方面から城の東端で合流するコースもある。


源平合戦ころにこのあたりに勢力のあった稲毛三郎重成の築城といわれている。南北朝時代の観応の擾乱(1351年)で戦場となり、戦国時代には扇谷上杉家を戴く後北条氏と山内上杉家の衝突がこのあたりで繰り返されるなど、近くを鎌倉街道が通る交通の要衝であったこのあたりでの軍事衝突でたびたび戦場となったらしい。廃城時期ははっきりしないようだが江戸時代には富士山信仰の場として利用され、城内最高所である「浅間山」の名前に名残を残している。


定時退社日の仕事あがりに何度か登城していたが写真がフォルダの奥底に眠っていただけだったので、再訪して縄張りや遺構を見直すことにした。

稲田堤駅から鎌倉街道沿いに出、信号を渡って三沢川右岸沿いの狭い道に入って、正面に見える低山の前まで進む。


現在位置(Googleマップで)

低山の裾で左に曲がると、すぐに「多摩自然遊歩道」の案内図が見えてくる。


その先、尾根に登ってゆく階段が城への東側の登り口になる。

緑地保全地区の標柱が良い目印になる。


ここからしばらく、細めの尾根上に付けられた道を辿る。
最初は階段で一気に20メートルほどの高低差を登る。
ひとしきり登ると、尾根は平坦になったりアップダウンしたりになる。
柵や道標が整備され、しっかり踏まれた道で安心😊

しばらく進むと、道が尾根南側に逸れて足場で組まれた桟橋を通っている。
ここは第二次大戦中に探照灯があった場所らしい。

さらに進むと、「屋号の物語」という説明板が立っている。
江戸中期にこのあたりが徳川将軍家の鷹狩り場になり、鷹匠の宿になっていた家がこの近くにあるのだという。

けっこう歩いたように思えるが、遊歩道入口からここまでは250メートルほど。
そして、この説明板の右側に…

堀切ゲ〜ッツ🙌

城の東端の区切りになる堀切が、遊歩道右手の尾根をザックリ穿っている。
以前はヤブが深くて地面が全く見えなかったが、ときどき草刈りしてくれているようで、薬研のV字が見えるようになっている😊

この先の階段を登って少し行くと、20メートルほどを一気に登る階段。
よく見ると、その一番下から左前方に踏跡が分かれている。

階段を登りきると、最初の曲輪らしい曲輪である「伝馬場」に出るが、踏跡に入ってゆくと伝馬場南側の遺構を見ながら主郭に出ることが出来る。
ホントに細い踏跡で、注意していないと見落としそう…

この踏跡に入ってゆくと、間もなく正面右側に切岸らしい急斜面が見えてくる。
そそり立つ壁のような土の急斜面は、伝馬場東側の切岸。

この城が最初に見せる、厳しい守りの表情😨

下は、南北に伸びる帯曲輪。踏跡はその中を南下している。
左手は草深いが、土塁で守られている。

この帯曲輪の南端まで行くと正面に、大きく盛り上がった櫓台のような小ピークが見えてくる。

この右側、伝馬場との間に…

キレイな薬研のVがっ🤯

初めて見た時には、普段仕事通いに乗っている電車の線路すぐ近くなんて身近なところにこんな遺構が残っているとは思っていなくて、かなりビックリした。
堀切であると同時に城の東側からの動線を通す虎口でもあったのだろう。
そういえば今の遊歩道が伝馬場に向かって登っていた階段は急斜面にムリヤリ付けられたようにも見え、本来はここが城道だったのかも…?

この堀切を通り抜けると、少しして斜面の南に張り付くように小屋が2軒建っている空間へ。
ちょうど伝馬場の真南の裾にあたる。

南に向かってだいぶ傾いていて、往時は南北二段の曲輪だったのかも。
南側からは麓に降りる階段道が斜面を降りていた。

ここから西に進むと、右手の伝馬場の方から小さな尾根が降りてきて、曲輪は細く絞られる。
向こう側に城内最大の曲輪が見えている。

伝馬場の方から降りてくる尾根には、道が付けられている。
後ほど、ここから伝馬場に登ってゆくことにする…

城内最大の曲輪は、伝馬場の南西側、自然遊歩道の通る尾根より南側のかなり低いところに広がっていた。
城内最高所である浅間山よりは20メートルは低いところにあるが、ここが主郭らしいとされている。

この北側、尾根の脇の草が生えているところに踏み込むと、上を通る遊歩道のほうから大きな断面の竪堀が降りてきているのが見える😮
断面は大きいものの10メートル足らずで終わっているようだが、この城内での見ものの一つだろう✨

反対の南側、一段低い竹ヤブの中にはかなり大きな曲輪が横たわっているようだ😮

主郭の南西側からは麓に降りる道が出ていて、これを途中まで降りて下の曲輪を俯瞰してみる。
この目線で見るのは初めてだったが、主郭との段がけっこうキツイ斜度なのが印象に残った。
ちゃんと切岸加工されていたみたいだ…

この道は西の方に分岐していて、そちらへ入ってゆくと少し登って帯曲輪のようなところに出る。
右には物見台の斜面が立ち上がっている。

しっかりと柵された道をなおも進むと、少し登って南に伸びる尾根の基部を穿った、これまた堀切状の底を通り抜ける。
ここも西からの動線が絞られながら通り抜ける虎口だったのか??🤔

この道をさらに進むと城の西端を断ち切る堀切に出られるが、尾根上の遊歩道からも出られるので、こちら側はここまでにして主郭東側の伝馬場に登ってみることにした💨


稲田堤 小沢城 その2に続く)

 

トップページ 都道府県別索引へ

 

(2024年7月1日 記)