二の丸の北東端まで来て、眼の前に見える木橋を渡っていざ本丸へ❗
…と思ったら、木橋ではなく土橋に木の欄干が立てられたやつだった😂
欄干の下から🌿🌿が出て来ている…
そして、土橋の両側の空堀が、また…😮
北の方には折れが入っている。

南の方は帯曲輪まで一直線
そして土橋を渡ると、南北に細長い楯形曲輪に出る。
奥のもう一本の空堀との間の土塁上の曲輪で、両側の堀や外側の土橋、内側の堀に架かっていた曳橋と一体となって、低い位置の本丸を守っていたと考えられるとのこと。
本丸との間を一直線に割っている空堀には、堀障子が入れられていたとのこと。
今は園路に組み込まれて平坦になっている。
本丸との間に架かっていたという曳橋も今は無く、園路は堀底に降りている。
ここから眺める堀は、障子こそ無くなっているが、見事な断面✨
ま、あくまで堀障子の存在は「伝」ということらしいが…
ここから本丸へも、斜面に付けられた階段を登ってゆく。
そして、本丸。
二の丸よりはずっと狭く、野球の内野ぐらいか。
いや実際はもっと広いのかもしれないが、周囲のササヤブが猛烈で、曲輪の隅々まで見渡せなかった…
一番奥に出入口がある。
ササのトンネルのようだが、土塁を切ったような様子はなく、曲輪を掘り込んだような感じだった。
振り返ると、こんな感じ。
外に出ると、雰囲気が一気に人里のそれに戻る😂
トラクター道の両側に町工場とかが並んでいるが、ここも往時は本丸と妙見曲輪との間の堀だったらしい。
そして、少し北に進むと妙見曲輪の入口がある。
説明板も🌿に覆われ始めて、忘れられていやしないかと心配になるような入口だったが…
登ってみると、しっかり刈り払いされていた✨
ここに妙見菩薩が祀られていたという。

ここは西〜南側に、一段低い帯曲輪のような空間が設えられている。
ここへは曲輪の南側から往来していたらしく、帯曲輪は南側で妙見曲輪本体に登って終わっていた。
その下の田んぼ、往時は沼や湿地だったらしいところとの段が、いかにも城郭の雰囲気✨
いやいや、端のほうまで見どころいっぱいだった🙌
そして、ラストは城の東側に隣接する守谷沼に出た。
水面にハヤがピョンピョン跳ねていた。
もう夏近しやね…
同じ常陸国にあって城の規模も遺構も似たような感じの小幡城などと比べると、こちらは舌状台地の先端を上手く取り込んで防御力を強化するとともに、居住空間の確保に重きを置いた縄張りのように見えた。
どちらかというと上総下総の境界に多い千葉一族の城と相通ずる設計思想を感じた。
★守谷城
茨城県守谷市本町
北側の守谷沼隣の駐車場がもっとも広い。他に南入り口にも4台分のスペースあり。
平城
(2024年6月6日 記)