細越城は柏崎の市街地から南に10kmほど、国道353号・鵜川の東側を北東〜南西に走る尾根上にある。
戦国時代に北条家麾下の細越将監が城主だったと文献にあるものの詳細不明とのこと。
城組アワード2023に選ばれたことで興味をいだいたが、何しろ地元と連携しつつも城内の整備をほとんどお一人で続けてこられたとのことで、どんな城かとGWを利用して登ってみた。
原因不明の膝痛で斜面の登降が辛かった…😅
登城口である松尾神社裏に別俣農村公園の駐車場があるが、ここへの入り方が分かりにくいだろう。
表に通りから松尾神社の鳥居が見えるのでそちらへ入って、鳥居の前を左に曲がって登ってゆくと道の終点に農村公園の看板、左が駐車場になる。普通車3台分。
城への登り口は、松尾神社の裏手にある。
ブランコとかも置かれている広場の奥に、斜めに登ってゆく道があるので、そちらへ入ってゆく。
すぐに石碑が立っていて、城への道であることを教えてくれる。
立てられたのが昭和63年(1988年)だと、整備されるよりずっと前だな…
道は植林地の中に下草を刈られた一筋のトレイルとなって登っている。
100メートルも進むと斜面に取り付く急登も現れるが、足元は滑りにくく、安心して登れるだろう。
少し登って、水平な帯曲輪にも見えるところを進むと、道は左に曲がって急斜面をへばりつくように登る。
その右側に畝城塞があるというが、
…確かに、それらしいものが上の方にありそうな雰囲気…
ここの登りは少し滑りそうだが、少し気をつければ安心✨
そして、この上に広がるのが、早速のウネウネ🤯
各々の畝の長さは10メートル無いぐらいだが、兵士が隠れられるぐらいの深さで4本、平行に走っていた。
少し東から斜めに眺めると、幅がそれほど無いのが見える。
この先は平坦な緩斜面になるが、すぐ先で主郭に向かって登ってゆく、この通路…
相当な急傾斜の竪堀状になっている。
さすがに滑りやすく、左側にトラロープが設えられている。
ここの掘り込みも鋭い✨
竪堀状を抜けると、右側がまたも畝城塞😮
さらには、その先にも…
この上は主郭の東側を穿った堀切に登りつくようだが、これだけの畝城塞を並べさせるに至ったプレッシャーは、相当なものだったろう。
主郭の方へ行く前に、まずは西の方を見に行くことにした。
トラロープをくぐるように小径を登ってゆく。
登りながら左下の方に帯曲輪が見える。
直接は踏み込めなそう、なんて思っていたら西側へ回り込む道があった。
広さはバドミントンコートぐらいか。
ここからは西の方に道が分岐していて、これを進むと曲輪へ登らずに城の西端の堀切まで行ける。
ただし取っ付きが2本の倒木で盛大に荒れているので、見つけづらいかもしれない。
ここでは、さらに上へ。
間もなくで、主郭直下の帯曲輪らしいところに出る。
ここに寄せ手を滞留させて上から矢弾を浴びせるキルゾーンだろう。
その緊張感を漂わせる主郭の盛り上がり、威圧感ハンパない😨
今は、ここを守る兵はゼンマイか…
ここからの登り口は、右側になる。
右から回り込むような感じで登っている。
けっこうな急坂を登り、左にカーブをきると主郭の虎口目前。
登りきると、主郭の南側に置かれた二段の段郭の、下の段に通される。
主郭へは、右手から登る。
続いてもう一段。
主郭へは右端を真っすぐ進んでゆくが、その間は段郭を守る守備兵に腹背をさらすことになる。
こういうところがしっかり造作されているのは、やっぱり戦争の絶え間がなかったろう戦国時代に築城や改修などされたのだろう。
主郭はかなり広く、ソフトボールが出来るぐらいあるだろうか。
周囲に土塁は全く無く、切岸でストンと落ちているようす。
一つだけ、埋まりかかった大岩が😮
礎石ではなさそう…?
でもてっぺん中央に土で埋まった穴が…?
さて、他に進む道が今ひとつハッキリしなかったので先に主郭へ突っ込んでしまったが、この城は広く、特に西の方に色んなバリエーションの遺構が並んでいてとても楽しい🥳
さて、そっち方面へどうやって進むか…
そんなことをぼ〜っと考えながら西の方へ進んで主郭の末端まで行くと…
堀切こんなデカいのかっ🤯
眼の前に差し渡し10メートル、深さもそのぐらいある大きな堀切が現れた。
向こうに西隣の曲輪が見える。
そして…
道はこの堀切へ直降りするように付けられている…🤯
ここ降りんのがぇ〜?🥶💦
(柏崎 細越城 その2に続く)
(2024年5月11日 記)