岩室砦から南に少し行くと宗龍寺があり、その南東に少し降りたところ、台地区に星宮神社があるが、この周囲にも城郭の遺構が残っている。
名称不明、調査等もされていないとのこと。ネット上での情報では「台城」と呼ばれているようなので、ここでは括弧書きで地名を付けて呼ぶことにする。
篠本城のあった光町スポーツ公園からの徒歩行軍、3城目となったが、掘り出し物の城に巡り会えてまだまだ意気盛ん💨
通りかかった宗龍寺前。
桜ももう終わりかけ…
城には星宮神社が祀られているので、そこを目指して坂を降りてゆく。
入口の前は、いかにも竪堀状通路のような感じのS字にカーブする切り通し。
神社のある斜面はきれいに均されている。
切岸加工の名残りのようにも見えるが…
野バラらしい白い花が可憐💓
コンクリの階段を登ってゆくと、すぐに星宮神社の鳥居が見えてくる。
左に拝殿、その奥に本殿が構える。
登りついた鳥居の前は、周囲から浅く掘られているようす。
土塁ではない。
この奥は城の西側に広がる曲輪だが、ヤブめのようす…
拝殿と本殿の間には、階段で登る斜面。
後世の改変が入っているのかもしれないが、二つの曲輪の間が段になっていたのを利用したのだろうか。
よく見ると、この段に沿った北側、切り通し道の方から竪堀状が登ってきている😮
今は車道で掘り下げられて下の方で切れてしまっているようだが、ここが往時の登城道かな…?
階段を登って本殿のある曲輪へ。
本殿は大きな覆いに守られた、神輿のようにコンパクトなものだった。
北側には、土塁らしい盛り上がり。
そして、南の方には空堀が横たわっている。
意外と大きくはない。
東側ほど深くて、天端間の幅が5メートルちょっと、深さは2メートルぐらいか。
真ん中あたりでは土橋で向こうの主郭へ渡っているらしい😮
向こう側には虎口らしい凹も見える😮
土橋を渡って主郭に行く前に、空堀の東の方に曲輪らしいものが見えるので、まずはそちらへ。
空堀から2メートルぐらい下がったところの南側に、テニスコートより少し狭いぐらいの広さの曲輪が広がっていた。
そして、北側…
空堀やん🤯
これにはビックリした。
ここは星宮神社のある曲輪の東になるが、切岸の裾を守るように直線的な空堀が伸びていた。
倒竹に覆い尽くされて相当荒れているが、これは北端まで行ってみなければ🥶
堀底はとても歩けないので、外側の細くなった曲輪をたどって北端へ。
斜面に突き出て終わっていて、竪堀状などにはなっていないようす。
それにしても、荒れ過ぎてよく分からんな…
さて、土橋まで戻って主郭へ行くか💨
戻りがけに眺める、星宮神社のある曲輪と南側の空堀。
思いもよらぬ絶景✨
主郭に渡る土橋は、拝殿のある曲輪の方からの動線らしい感じ。
虎口らしい凹はとても浅くてほとんど見えない…
しかしここの左側、空堀に面した土塁が内側に折れ曲がって、土橋からの動線を狭めつつ中に導き入れているような感じ。
写真ではよく分からないが、手が込んでる😮
主郭は奥行きが50メートル以上ある。
例によって倒竹の多い竹ヤブだが、間引かれているらしく荒れた感じではない。
倒竹を積み上げたらしいのもあって、手は入っているらしい。
西の一段下を守る腰曲輪、幅も奥行きも相当あるな…
今は伐採された竹が積み上げられているが、ここが主郭と腰曲輪との間を往来する道だったか。
掘り下げられて短い竪堀状になっている。
ここから南は、縁が低いながら土塁に守られている。
東側は全体に土塁に守られているようす。
その傍らに井戸らしい穴があった😮
その外がどうなってるのかと思って覗き込んだら…
こりゃ、怖い😨
土の安息角より傾斜が急になると滑落の恐怖が増すように思うが、ここは60°ぐらいある😨
下に住宅地が見えるが、そこからの比高も30メートルは下らないだろう。
こちら側をガッチリ守っている城なのだろうか。
ともかくも、城と星宮神社の関係もよく分からないようだが、遺構は段丘の縁を取り込んで、虎口も狭めてガッチリ守る城の表情をしている。
星宮神社は千葉一族の守護神であるし、周囲に同じような城がたくさんあって興味を惹かれるし。
ここは調査が待たれるところだろう…
★台城
千葉県山武郡横芝光町台
駐車場無し。宗龍寺の駐車場を利用できるだろうか…?
丘城
(2024年4月22日 記)