滝沢西城は藤枝の町中から10kmほど北西、瀬戸谷地区から滝ノ谷不動峡に入ったところの西の山稜上を占めている。不動峡を挟んで反対側には瀬戸谷城があって、対をなしている。
ここは南北朝時代のはじめの方、観応の擾乱のときに南朝方の佐竹兵庫入道が立て籠るも今川範氏の軍勢に落とされた「大津城」の有力候補とされているとのこと。
それ以前、その後とも来歴は不明なのかな?
ここまで駿河の南朝方のめぼしい城を次々と攻略して、この日のここで目処となった。前の週に駐車場難で敗退していたので、時間に余裕を見たうえで不動峡の駐車場から徒立ちで出撃した💨
城へのアプローチになる車道は城の西北西にある広がったピークまで伸びているが、付近に車を停める場所は無い。
不動峡からの比高はおよそ220メートル。
じつは1:25000地形図に載っている不動峡少し上から出ている点線道を使って登ろうとしたのだが、下の写真のような荒れた急傾斜の山道が茶畑の下で消えて、コンクリ舗装がヤブに覆われていたりする廃道だらけになっていた。地形図の山道は往々にして失われていたり廃道化していたりするので注意がいる。
その下の方に、城への道の入口がある。
ハッキリした山道だが入口に手作りのひさし付き木箱が置いてあるだけで、これが城につながる道だとはなかなか思えないだろう…
道はしっかり整備されていて、斜面の南東面をトラバースしてゆく。
向こう側に、相棒の瀬戸谷城が鋭いピークを見せている。
道は重機で堀り抜いたような場所もあり、南東に伸びる尾根に向けて一度降りてゆく。
鞍部は幅広の土橋のよう…ではないか😅
↑もはや何でも城のパーツに見える病…😮💨
道はこの土橋状のすぐ先で行き止まりになるので、右側のちょっとした尾根上に登り移って進む。
そして、ここから370メートル超の小ピークに向かって登りが始まる💦
その付け根少し上のコイツ、堀切??😮
ここから右上に登ってゆく道が付けられているので、そちらを登る。
踏跡が分かりにくくなる頃には西の支尾根に出る。
ここの傾斜は緩めなので、ピーク目指して直登してゆく。
途中で左後方に登ってゆく踏跡が分かれているので、そちらを登ると分かりやすいかも知れない。
ともかくもハッキリと動線が刻まれているわけではないので、左手上の方に見えるピークをスルーしないように注意。
山道に入ってからここまでのルートと城内の配置(GPSログではないので注意)
(電子国土webの図上に筆者作図)
踏跡はほとんど見えないが、ピークはすぐ上。
ドキドキしてきた💓
ピークのすぐ手前に、ちっこい段郭のような…
遺構だろうか?
登りつめたピークは、テニスコートより広いぐらい。
瀬戸谷城よりはっきりと削平された曲輪なことが分かる。
北の方に大岩が…
その向こう側、郭の北端にはちょっとした櫓台のような高まり😮
その向こう側の斜面もそれほど急傾斜ではなく、切岸加工は施されていなかったように見える。
この主郭から、南に向かって土橋のような尾根が伸びて、南のピークに繋がっている。
もっとも側面はやはり緩やかで、積極的に土木工事を施したようには見えない。
それどころか、尾根から南のピークまでの比高3メートルが、えらい急な登り💦
まぁ3メートルだけど…
登りきってみると、南のピークも明らかに削平されていて、こちらも曲輪として利用されていたのだろう。
側面の斜面も、安息角ぐらいはあるだろう急傾斜。
安息角までなら自然地形の可能性があることになるが、自然の急斜面に囲まれていたか土を切盛するかして、曲輪の周りを急斜面で囲んで防御力を得ていた城、ということなのだろう。
この曲輪の南端には、尾根状を少し下がって大きな岩が鎮座する。
そこまでの尾根の東側が、スッパリ切ったような岩壁🥶
よく見ると、下から登ってきたらしい踏跡のようなものが、西側から尾根の付け根あたりに入ってきている。
そこへ降りて振り返ると、曲輪へのラストが実にえげつない急坂、しかも大岩の方から側撃を食らうようになっている😱
大岩の先にもう一つ大岩、そこで尾根は大きく下がって平坦になっている。
その少し先には、これまた見事な岩峰がそそり立っている。
西側の裾なんか10メートルぐらい下までスッパリ🥶
この岩峰の向こう側に回り込んでみると…
これは堀切だろうか…
これだけを見たんだと自然地形に見えるんだが、その東の斜面に…
これ傾斜が急すぎるけど、堀切から落ちてきた竪堀?
にも見える…
これが堀切だろう様子は、少し進んで振り返ってみるとよく分かる。
写真撮るとパンダで全然分からず…惜しい😢 ←ヘタクソ😮💨
これで城は終わりかと思ったが、もう少しだけ先まで行ってみると…
これ段郭かな…?🤔
ちょっとした岩場の横から踏跡が降りているので、そこから降りた。
これは間違いなく段郭だな🤔
ここから、降りてきた岩尾根を振り返ってみる。
ここから見たのでは土木工事のしようがない岩尾根に見えるが、中にチョコチョコと加工を入れていたとすると、築城者の知恵に感心するところだ。
もっとも瀬戸谷城では西に降りてゆく同じような尾根に加工の跡がほんの僅かしか見られなかった(それも人工的なものか甚だ怪しい)のと比べると、ここの加工の有り様は際立っているように見える。
本当に城のものか、また南北朝時代のものかは、本格的な調査を待たなければ分からないだろう。
さて、ここから先はなだらかな土の尾根みたいだ。
段郭の出入り口を仕切る虎口のようなものも無い。野田の城山や安倍城、久住砦などと同じように城の内外の境界を示すものが何もない…
ここから降りられるかは分からないので、もと来た道を撤収💨
地形図を見ると、城の南の340mぐらいの小ピークから南々西の上滝沢に向けて比較的緩やかな尾根が降りている。ここから往来できるかも…
帰り道に南の曲輪から急斜面を降りたところ、よく見たら堀切みたくなってるじゃんか😮
危ね危ね💦見逃すとこだった…
★滝沢西城
静岡県藤枝市滝沢
城手前の茶畑まで車で入れるが停めておく場所が無い。滝ノ谷不動峡から徒歩が無難。
山城
(2024年3月20日 記)