トップページ 都道府県別索引へ 静岡県の索引

 

安倍城は安倍川が静岡の平野に出てきたところの右岸にある。国道1号静清バイパス羽鳥ICが最寄り。

主郭の標高が435メートルで、麓(葵区西ヶ谷)からの比高は370メートルにもなる。

建武政権で武者所に仕えた狩野貞長が城主で、南北朝の動乱が始まると南朝方について挙兵し、この城も戦乱の舞台となった。南北朝合一の後に廃城となったらしい。

(電子国土webの図上に筆者作図)

 

この日は午前中に山中城でのイベントに参加し、その足で突入したが入山が午後3時を回ってしまい、日没時間切れのプレッシャーを強く受けながらの城攻めになった😅

 

現在位置(Googleマップで) 

安倍城には複数の登山ルートがあるが、今回は運動公園のある西ヶ谷からのアタック💨

山のすぐ下まで迫る住宅地を抜けると、道は沢沿いの森の中を進んでゆく。

 

工事中の堰堤の前で、コンクリ道から山道に変わった。

間もなく、沢を渡って反対側の山に登り始めるところに、城への案内があった。

 

時間が押しているが、城まで行けるか…

 

ここからは、つづら折れのなかなかの急登。

城から北東に伸びる尾根までの比高150メートルぐらいを一気に登るようなので、慌てず一歩々々登ってゆく。

 

それでもワタシの足で15分ほどで稜線に出る。

杉の木の根がヒダヒダの尾根を、あと尾根線上を登ってゆく。

 

それでもまだ標高差200メートルあるので、慌てない慌てない…😅

取り付きよりはだいぶ緩やかになる。

 

尾根に出てからさらに20分ほど登ると、てっぺんが平坦なピークに出る。

周囲に切岸加工などの跡はほぼ無かったが、ここが安倍城最北の曲輪だろう。

 

少し南に尾根を横断する溝が入っていたが、堀切っつうにゃ薄すぎ…

 

そこから少し進むと…

 

オオッ❗堀切ある〜🙌

 

長年の風霜を受けてかすっかり浅くなってはいたが、幅5メートル超の立派な堀切が走っていた。

両側にも、ちゃんと竪堀を下ろしている。

南側

 

北側

 

堀切の向こう側は一段高くなって、尾根を削平したらしい曲輪が伸びていた。

 

ここから石を嵌め込まれた階段を登った上が、主郭だろう。

いざっ💨

 

主郭は、テニスコート2面分ぐらいの広さで、南北に細長い形をしている。

 

真ん中あたりに立派な城址碑が立っている。

 
この城址碑の前に三角点があったが、チェック忘れた😅
三等三角点とのこと。

そして、主郭からは静岡の市街地方面が一望のもとだった✨

それにしても、安倍川の対岸に見える賤機山の尾根の低いこと😮

この城、だいぶ高い…

 

周囲のこの傾斜だと、切岸加工とまではいかなくても、削平で出た土を盛って傾斜をきつくしていただろう…

 

さて、主郭から南の久住砦方面へは、東側から斜めに降りる道に入ってゆく。

いちおう、南にくっついている段郭から東へ回り込んで斜めに登ってくる、坂虎口のような造作をしている。

 

ここを行くと、南側の段郭に出る。

ここが、主郭の南側の枡形とか馬出しとかになりそうな場所。

 

ここからは、さらに段になる。

降りると下に広い空間があるが、南に向かって外傾しているうえに虎口などが何もなく尾根につながっているので、曲輪なのかどうか…

 

しばらく下ると平坦な道になって下ってゆく。

けっこうな急坂。

 

そして、傾斜が寝てくる頃、前の方に…

 

岩盤堀切とまでは行かないけど…

 

ちょうど久住砦との中間地点あたりの下っている途中に、立派な堀切が穿たれていた😮

幅は、やっぱり天端間で5メートルぐらいか。

 

南側まで続いていた岩盤尾根を穿って堀切にしたやつで、南側は土塁や櫓台のような感じで残っている。

 

岩盤は、平べったく割れるみたいだな…

 

後の時代には、こういうのを積み上げて石積を築くようになるらしいけど、ここに石積みは無いようす。

地山が岩盤だからか南北朝より後の時代の普請だったからか、他の遺構より残りが良いように見える。

 

さて、ここからは久住砦の範囲か💨

 

静岡 久住砦に続く)

 

★安倍城

静岡県静岡市葵区羽鳥

登山口周辺に駐車場は無い。運動公園に駐車は出来そうだが行事等に注意。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ 静岡県の索引

 

(2024年3月19日 記)