尾沢渡城は藁科川〜黒俣川沿いに国道362号をだいぶ遡ったところにある。
築城年代から来歴まで分かっていないようで、遺構のようすから見るに武田氏の駿河進出後に手を加えられた可能性があるとか。
三連休が取れた初日、このあたりに残る南朝方城をまとめて回ろうと思っていたが、道中で時間を食って最奥の護応土城へ行くには遅くなりすぎたので、途中にあるここを目標にした…😅
登り口は、黒俣川から支流に入ったところの集落を抜ける道の、この右側。
って…
上、コレ…?💦💦
どう見ても、人の家の軒先をかすめてゆくような道💦
それでも意を決して入ってゆくと、茶畑のあいだを縫うように、ちゃんと道がつけられている。
茶畑を抜けて植林地に入る手前が、土の急斜面をほぼ直登で手を使う場所があるので注意。
植林地に入るところがよく分からず、適当なところから入ると経路が不明瞭になるが、下草がなく歩ける程度の斜度になるので、上に見える尾根の東末端あたりを目指して登ってゆく。
尾根が近くなると、何となく上が曲輪のような雰囲気になってくる。
この斜面の上に向かうかすかな踏跡を辿って登ると、さらに上に曲輪のような高まりがあり、その南に広がる帯曲輪のような場所に出た。
何か看板が立っているが、城の案内ではなかった。
ちょうど間伐真っ盛りのようで、そこいら中に丸太が転がっていた。
上へは、東から回り込むトレイルがあったので、そちらから登ってみる。
が、途中で右の外側に尾根が伸びていて、見逃しそうになる。
ワタシも最初見逃した😅
ここへ入ってゆくと、すぐにテニスコートぐらいの広さの段郭が2つ。
上の段
下を覗くと、踏跡が左の方にカーブしつつ下の段に入ってゆく。
下の段
ここから下を見ると、だいぶ下ったところにもう一面の曲輪が見える😮
幅広だが少し急な尾根を下ってゆくと、曲輪があった。
上から見たときの印象よりだいぶ狹く、戸建住宅がやっと建つぐらいか。
周囲には土塁も虎口もないが、南側の切岸のこの有様を見れば、そんなものは要らんことが一目瞭然🥶
ってか、こんなところによく植林できたな😮
反対側の斜面は、もっと緩やかだった。
この下さらに20メートルばかり降りたところに、もう一面の曲輪があった。
先ほどの曲輪と同じぐらいの広さだが、かなり外傾している。
上下二段構造になっていたように見えるが、境目は均されたか、ほとんど分からなかった。
ここからは黒俣川に向けて急斜面で落ち込んでいる。
ここも土塁不要、黒俣川沿いの街道を監視するにうってつけだったろう。
今は植林で展望は無い。
この下に曲輪はなく、城域はここまでとなる。
上に戻って、次は主郭方面じゃ〜っ💨
(奥藁科 尾沢渡城 その2に続く)
(2024年4月2日 記)