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古城山砦を首尾よく攻略したが、時刻はすでに15時近かった。

日没まで2時間半しかない💦

(電子国土webの図上に筆者作図)

 

そんな中でも単なる烽火台と侮って、ふたたびコースに戻ってさらに奥を目指す。

砦から先に進むと、掘り込まれたところはぐっと少なくなって、斜面の中腹をトラバースしながら登るようなところが多くなる。

ところどころ急登。

 

「恩」とは山道を整備してくれたことだろう🙇

 

少し行ったここが、コースの中間地点らしい。

 

この先、昨日とかに降った雪が残ってるな…😨

 

左側がけっこうな高さの急斜面なので、滑らないよう気をつけねば…💦

 

この先、道が狭くなってスタンスが外傾しているようなところに凍って滑る積雪があったりして、恐る恐る通過すること20分…

 

あれか…?

 

左手の上の方に、城柵を模したらしい柵の張られたピークに向かって登る階段が分かれている。

案内、少し傾いてる…

 

その案内の奥が、また…

 

キレイな堀切〜🙌

 

四尾連湖に向かうこの道が底を通り抜けている切通しが、烽火台から西へ続く尾根の基部をバッサリ切る堀切を兼ねている。

土の曲線が美しい🤗

 

では、烽火台に向かってかなり急な階段を登ってゆく。

少し上から俯瞰する堀切が、またカッコいい✨

 

堀切の向こう側の尾根は自然地形だろうが、何となく上を歩けそうな感じ…

 

山腹の今の道でなく、この尾根上を辿って700メートルほどある砦までの間を往来していたとなると、立派な城のパーツだな…

なんて思ってたら房総の城をちょっと思い出した…

この前の週末に万喜城でミゾレに叩かれたから、記憶が鮮烈だったのだ🥶💦

 

さて烽火台のてっぺんにあるのは、古墳かな?

周りが急斜面になっている。

 

ここから柵の脇を通って東の方に行くと、東西に長い削平地が伸びていた。

 

ここから望む甲府盆地の西の方…

ちょっと樹林がある…

 

ここから東の方へ尾根が伸びているが、切岸加工などがなく自然のまま下っている。

でも今にして思えば、下がりながらも天端は削平されてたらしいな…🤔

 

行けるところの突端も、平坦ではあるが削平や切岸などの加工をしたような感じではなかった。

 

北側は下まで急傾斜だが、南側はだらだらと下っているだけで、こちらも切岸加工などの跡が無い…

登ってきた道に対する備えぐらいしか施していない感じ。

 

さて、ここもこれぐらいだろう。

退散っ💨

 

てっぺんの塚、逆光が後光になってる…😮

 

で、砦も通過して掘割になった道をどんどん下って…

 

この分岐…

 

登ってきたときは左の方から来たが、そちらが枝線、右に降りてゆくほうが本線のようになっている。

 

で、分岐のところに立ってる、柱だけになったような案内の足元を見てみると…

右側のには「碑林公園経由 市川本町駅方面」とあるではないか😂

 

となると、左のには…

 

やっぱり、「金毘羅神社経由 市川本町駅方面」

 

な〜んだ😂

ちゃ〜んと碑林公園から登る道が、あったんじゃんか😂

(電子国土webの図上に筆者作図)

 

なお、このコースは1:25000地形図上には描かれていない。

上図紫線で示した経路もGPSログなどではないので、古城山砦=浅間神社への参詣道などを調べる際などでは注意していただきたい。

 

この道は、上の方にもまして立派な空堀状に穿たれていた。

深いところでは、3メートルはあろうかというぐらい掘り下げられていた。

 

そればかりでない。

この道で一番びっくりした光景…

 

旧道があるっ🤯

 

今のコースが出来たときに付け替えられて使われなくなったらしい空堀状が、2ヶ所ほど残されていた。

今の登山道はこんな大規模な掘割にすることはまず無いだろうし、ましてその一部を切り捨てて付け替えたような場所も見たことがない。

どうも、それなりに歴史のある道のように思える。

 

そんな立派な掘割を抜けると、唐突に森から抜け出して、麓に向かって降りてゆく里の道に変わる。

ここから登る時には、いよいよ始まるか山道!というところ。

 

そして、降りてきた場所は碑林公園内「源氏の郷」の建物の真ん前だった。

車を停めた公園駐車場の、すぐ上だった😂

 

なにぶんシロウトなので遺構の年代まで特定することは出来ないけど、そんなシロウトの目で見ても城の遺構と後世の造作が入り混じっているらしい様子がおもしろかった。

 

いろいろな方向から古城山砦に向かって登ってきている竪堀状の道は、砦のものと考えたのでは範囲が広すぎるし土木工事の規模も大きすぎるだろう。

しかし付け替えられて廃道化した部分もあるところを見ると、近年整備されたものではないだろう。

砦の主郭に勧請された浅間神社に伴うものだろうか。

この浅間神社は富士山の写し霊場だったらしい。主郭に林立していた石碑はその講に関するものとの事。

講が盛んな頃には相当な人数が往来していた道と思われ、付け替えや改修が行われていたとして不思議はないだろう。

 

古城山砦がどんなものかを理解しようとすると浅間神社がらみのものを除外することになるのだろうが、尾根の基部を複数の堀切で仕切ったうえで主郭の周囲に複数の曲輪を並べた縄張りを見ただけでも、素朴な砦のイメージとはかけ離れた印象だった。

直線で700メートル離れた烽火台と一城別郭だったとなると、この砦を中核として周辺一帯が要塞化されていたようにさえ見えてくる。

 

ともかくも色々な時代の遺構が見られるのが面白かった。

城好きでなくても、濃いぃ雰囲気の興味深い山だろう。

 

★古城山烽火台

山梨県西八代郡市川三郷町山保

大門碑林公園方面からだと比高580mの登り、四尾連湖からだと峠まで登ってから下り気味のトラバース

山城

 

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(2024年3月7日 記)