トップページ 都道府県別索引へ

 

公園とは言え天守風の奇抜な意匠のスカイローラー起点を離れ、城の遺構を求めて山の中へ💨

城の縄張りはスカイローラー起点あたりまで広がっていたらしい。

少し山寄りに入ると「矢倉」という標柱が立っている。

 

見てもあずまやが立っているだけだが、ちょうど尾根の先端っぽい場所でもある。

ここに物見櫓のようなものが置かれていたのだろうか。

 

ここから園地を外れ、防獣柵に沿って尾根上を進む。

所々に露岩もあり、柵の向こう側がバッサリ切れ落ちたようなところもある。

ただ、ハッキリ遺構と分かるものは、無かった。

 

しばらくすると「斎藤秀隆の墓」という矢板が現れる。

下から道が登ってきているらしいが、コンクリ舗装もなく踏跡もハッキリしない道だった。

 

尾根は矢板の指し示す方向に続いているので、さらに進む。

 

続いて、斎藤左衛門秀隆の墓への道が、左前方から入ってきた。

 

ここから尾根は急登になっているが、佐野氏に奪われた粟野城を奪還しようと攻め寄せて討死した悲運の将の墓を見に行ってみる。

少し行ったところに、墓碑と説明板が立っていた。

 

一城の主がこんなところにひっそり眠っているとは…😢

ちょっと佐久の岩尾城にある依田信蕃の供養塔を思い出した…

 

斎藤秀隆の墓分岐から急登少しで、二重の塔のある岩山に登りつく。

塔の直前は滑落も怖いほどの急峻な岩山なので、無理せず秀隆の墓から道をそのまま進んで園路に出た方が良い。

 

二重の塔は、岩盤の山の上に立つ立派な石塔だった。

ちょっとお寺の宝塔を想像してたりして…😅

 

ここは女二城という曲輪だったらしいが、現地に特に案内は無い。

岩盤がデコボコで、建物を建てられたか微妙に思える場所だった。

 

ここからは、尾根に沿ってさらに進む。

曲輪から出るところは、防獣柵の前に石塔が2基並んでいる間から抜けてゆく。

 

ここから眺める前途…

急峻な山肌が空に突き出て、すごい光景だ😨

 

いったん少し下ると、すぐ先に低いがきれいな土橋状…

これは、何かを渡っている。

 

右に標柱がチラッと見えたので、覗き込んでみると小さな堀切😮

 

ここからが、城の心臓部になるかっ🙌

 

と思っていると、左前方に三日月のような形の曲輪が見えてきた。

おぉ立派な腰曲輪や〜なんて思いながら曲輪に入り、立っている標柱を見てみると、ここが本丸だった…😅

分からんのかワレは😮‍💨

 

本丸は狼煙台などのあるピークの懐に抱かれた帯曲輪のように、東西にやや細長くなっている。

城の最高所あたりに本丸…主郭が無いのは、稲田堤の小沢城あたりを思い起こさせる。

ここは小さな沢の源頭のようなところで、下には立派な段郭が付いていた。

 

虎口は改変されているかも知れないが、東側の女二城方面からの尾根の裾から降りて、下の帯曲輪へ抜けている。

 

本丸の奥の方からは、西側の段郭が連続する尾根を降りて西の出城に出られるらしく、防獣柵に沿って踏跡も付いていた。

が、今回は大手道を下りたいのでパスっ💦

 

本丸から上の道に戻り、尾根をさらに登ってゆく。

木が伐採されて土や岩盤が空にむき出し😮

なんか丹沢表尾根とか大倉尾根とかを思い出すような光景…

 

狼煙台は、右上への分岐を登ってゆく。

全体が2段になっていて、それぞれが六畳一間ぐらいの狭い曲輪だった。

麓の町並みや周囲の山々がよく見渡せ、たしかに狼煙を使った通信に好都合な場所。

 

ここから少し登ると、左手の山懐に曲輪らしい平場が見えてくる。

 

ここから尾根の下を通る道に合流できるが、尾根伝いに登ってゆく事もできる。

ザレっぽく滑りやすいので注意して登ってゆくと、最高所一歩手前にそれなりの広さのある曲輪があった。

 

ここを左から入ってゆくと、すぐ右の曲輪前を通り抜ける武者走り状に出る。

左はキツイ傾斜の土壁。高度感ハンパなくておっかない😨

バリバリの高所恐怖症っす😅

 

ここを西の方まで入り込んでから登ると、眼の前が防空監視哨の跡。

 

円盤状の台座だけが残ってるのかと思ったら、中は相当深い。

なかなかに、怖え〜よ🥶


栃木県内に現存する2基のうちの一つとのこと。
350年の時を隔てた2つの戦争遺構が、この山にはあった…

ここが城内最高所で、往時は物見があった場所。

監視哨から全体の様子を俯瞰できる。

 

真ん中に、かの徳川慶喜公揮毫という城址碑が立っている。

 

少し下がった東端は、ちょこっとだけ囲う土塁が残っているようだ。

 

さてっ、城はここまでっ

下山するぞ💨

 

それにしても、何度見てもこの尾根、スゴイ立地だ😮

 

まずは本丸に降り、すぐに虎口から退出する。

下の段郭、降りてきてみると六畳一間ぐらいの広さしかない…

馬出あるいは枡形のような位置づけかな?

 

ここからヘアピンカーブで下の谷間で降り、あとは真っ直ぐな谷の中をひたすら降りてゆく。

降り始めに立っていた、展示林の案内。

 

ここからは階段の整備された歩道を、ゆっくりと下ってゆく。

 

所々が段々になっていて、登降する虎口らしいものが掘り込まれている。

これは城の遺構か?🤔

 

そうでなくても、この谷全体が竪堀状通路のようでもあり、もともとあった谷に相当手が加えられたようにも見える…

 

あとは雄大な谷を10分も歩けば、忠霊塔の裏に着く。

その裏、森林保護育成の看板が立っている下が、城の水の手だったという。

 

なるほど、水こそ流れていなかったが、谷筋を掘り込んで水が染み出してくるようにしていたらしい。

 

さて、この城の西側尾根の末端近くには出城がある。

先ほど主郭の西端から南に降りる尾根があったが、その下の方まで段郭群を並べて繋がっていたらしい。

今さら段郭群を登るのは勘弁だが、出城の主郭ぐらいまでなら行けるかも…

 

ということで、もうひと登り💨

 

登り口は、忠霊塔の左側に立つあずまやの前。

「展望東屋 5分」とある矢板に従って入る。

 

その先の道は、踏跡程度で分かりにくい。

あずまやの真横、地面が盛り上がって先が道でなくなったようなところで左に折り返すのがポイントか。

写真中央左の叢のすぐ右を登る踏跡を辿る。

 

ここを過ぎれば、ちゃんと道になるバンドは付けられているので、外さないようにつづら折れを登ってゆく。

 

ヘアピンカーブ一つ越えると、

 

ちゃんと竪堀落ちてきてる🤯

 

いやいや、出城とナメてかかってると、ビックリさせられるかも。

ごく浅く細い竪堀だったが、ちゃんと尾根から真っ直ぐ降りてきているじゃん😮

 

もう一つヘアピンカーブを越えると、もう尾根線が眼の前…

 

ちゃんと堀切を穿ってるな😮

 

ここからひと登りで、尾根上のあずまやに着いた。

ここが出城の主郭らしいが、六畳一間程度…

 

この道が往時からのものとすれば立派な坂虎口だが、実際のところは…?

 

道はこのあずまやで終わっていてどこにも出られないが、さっきの堀切見に行くで〜💨

 

防獣柵に沿って尾根を登ってゆくと…

 

ちゃんと、尾根を切ってるな😮

 

いやいや、こんなにキレイな堀切が残っているとは思わなかった…

防獣柵もちゃんと堀切の凹凸に沿って張られている。

両側に落ちる竪堀も、シッカリしている。

まずは防獣柵の向こう側

※柵の網目からの撮影

 

いま登ってきた反対側は、ボサの中だった😂

 

展望あずまやの反対側にも堀切があるらしいが、少し降りてみたものの見えなかった…

 

これにて撤収💨

 

初代粟野町長が保全につとめたという遺構は、戦国時代にしては素朴な感じがした。

基本的には険しい山容で守る城だったのだろうか…

 

★粟野城

栃木県鹿沼市口粟野

麓の駐車場が利用でき、トイレもある。

山城

 

トップページ 都道府県別索引へ

 

(2024年3月28日 記)