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峻険な南側から登ったら、道なのかどうなのか分からない、ひりつくような南側からの登りを何とか切り抜け、城の東に伸びる尾根に出てから登ること5分…

 
最初の堀切に到着〜っ🙌

 
てっぺんを土橋で渡るタイプの堀切らしい。
こういう堀切は薄く見えてしまうことがあるが、この土橋は美形✨
左側に落ちてゆく竪堀は、薄め…
 
しかし、尾根線付近は外側に土塁が盛られている。
これで堀切が見やすくなっている✨

 

さて堀切を通過すると、道は右へカーブしつつ尾根状を登ってゆく。
 

そして、最初の曲輪…

 

灌木のまばらなヤブになっているが、こんな急峻な山中にあることが信じられないぐらい、それなりの幅と奥行きのある平坦地だった。

相当しっかり削平されているようだ。

 

曲輪の中央には、何となく盛り上がり。

往時もっと高かったとすれば、物見台でも置けそうではある…

 

曲輪の奥まで行くと、人の背丈ほどの段。

 

その奥には、細い尾根の天端を削平しただけのような、曲輪とも土橋ともつかないような…

 

ここを奥までゆくと、ゆる〜い堀切のような凹…

左の端を土橋で渡っているが、実に分かりづらい…💦

正面から見ると、確かに土橋状。

 

それでも、尾根をちゃんと掘り込んではいるらしい。

 

手前の城外側には土塁を積んでいる…

緩いなぁ…

 

その向こうには、奥行きも幅も5メートルばかりの小さな曲輪が横たわっていた。

 

その奥、尾根が立ち上がるところの裾、抉れてないか…?

 

近づいてみると…

 

やっぱり❗

 

うわ美形の堀切〜🙌

 
天端間の幅は10メートル無いだろうが、尾根を深く穿った堀切✨
さすがに、城の心臓部の守りだけのことはある。
 

この堀切の向こう側、ここを登れば主郭。

ロープが垂れ下がっている😮

 

主郭に登り着いて、眺め回してみる

…前に、何だこりゃ?🙄

 

こんなトコに手荷物預り所なんて、あったワケねーだろーに…

 

主郭はテニスコートより少し広いぐらいの広さはある。

そして、きれいに削平されている。

 

そして、ここは八束山の山頂でもある。

ちゃんと立て札が立っている。

 

さらには、北側と西側から登るルートがあることも教えてくれている🤯

オイッ!ワシはとんでもないバリエーションルートから登ってきたのかっ💦

 

坂道を北に降りてゆくと、下に帯曲輪が広がる。

上から見る限り幅は結構あるし、主郭の北側の裾をしっかり固めている。

 
この帯曲輪を西の方に進んで主郭の向こう側に出る。
南の方に堀切が見える。
手前側は広い曲輪になっていた。
 
その主郭西側を区画する堀切。
東側のと比べると、だいぶ浅いように見える。
左の主郭切岸は高いが、反対側は背丈ぐらいしかない…
 

 南側に落ちる竪堀はハッキリ見える。

外側の曲輪に登って見下ろす。

 
堀切の外側に隣り合う曲輪は、六畳一間のアパートより少し広いぐらいの小さな空間だった。
小さな建物一つぐらいしか建てられないだろう。

 

そして、向こう側まで行くと…

 
またまた、堀切やね😮

 
道はそのまま直線状に降りているが、降りている途中から見下ろしても、けっこうな高さ😮
 
底まで降りて、断面を眺める。
主郭の東側のよりは大人しいようだが、それでも薬研のV字は分かる。
立派な堀切だ✨
 
この城の主郭部は、つごう3本の大きな堀切によって区画されていた。
向こう側への登道には、小さな札が倒れている…
 
外側は、削平された曲輪という感じではなく、大岩が転がっていた。
 
大岩がなくなっても、平坦になる様子はない。
ずるずると下っている。
 
そのまま傾斜は次第に急になり、細めの尾根になって降りてゆくようだ…
 
下り始めのところには、主郭…八束山頂方向を示す案内が…
となると、ここは登山コースなのか…?
じっさい、西からのルートとの事。

 
ここから降りられそうな感じに見えるが、このあたりは道から外れると何があるか分からない。
岩峰やキレットでも現れて迂回不能だと帰れなくなってしまうので、仕方なくあの道を戻ることにした…💦
 
あっでも山頂の案内に「岩場ルート」ってあったっけ…
とは言え、どのみちクライミングとかムリだし😨

 

いやはや、急峻な山稜に数本の堀切を穿って区画し、削平地をいくつか造成して居住や駐屯のための空間を作るという、素朴なつくりの城だった。

恵林寺山城(山梨県)よりは時代が下っているだろうが花園城(埼玉県)よりは前、という感じに見えたが、どうなんだろう…?

 

★八束城

群馬県高崎市

(アプローチ調査中)

山城

 

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(2024年1月17日 記)