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枡形虎口を通って、本丸へ登る前に二の丸から北西の天人清水の方へ降りてゆく。

城道はしっかりしていて要所に標柱も立っている。

雨の中でも歩きやすい道をゆく。

 

二の丸から北東の台所、さらには北西に伸びる尾根上の曲輪を眺めつつ下の馬場へと降りてゆく。

東側の斜面に向けて虎口のような掘り込みがあるが…

 

説明板に描かれた地図には、特に麓へ通じる道などは描かれていなかったが…

道が続いていないかと奥まで行ってみたが、🌿🌿の旺盛な急斜面が広がるだけで、道らしいものは見えなかった。

 

城道に戻って、尾根上の曲輪、ちょうど二の丸の2段下にあたる曲輪への分岐を、右に折れつつ通過する。

 
折れる前に曲輪にも踏み込んでみたが、何しろ入口のところで派手に倒木が重なって塞がれていて、面倒と言ったらなかった…
内部も倒木とかでグジャグジャやな…
 
城道は、右下の帯曲輪へと降りて、なおも続く。
 
帯曲輪の正面に曲輪の段が立ちふさがるようになると、城道は右へ曲がって段の裾を急な階段道で降りてゆく。
この段には折れが入っている。
 
帯曲輪の正面に曲輪の段が立ちふさがるようになると城道は右へ曲がって段の裾を急な階段道で降りてゆく。
 
そして…
 
これが天人清水か〜🙌
 
両側を曲輪に挟まれた平場の半分ぐらいを占める、大きな井戸。
今でも満々と水を湛えていて、落ちたらタダでは済まない…😨

奥は細く絞られている。
ここが大堀切。
左が本丸や二の丸の側、右は北郭。

そして、ここに立っている標柱…


真新しいなと思ったら、裏を見たらこの年(2023年)に立てたばかりだった🤯

整備が今なお進行中🤗

さて外郭へも入ってみる。

先ほどまでハッキリしていた外周の段が、急に分かりにくくなる😮
長年の風霜を受けたか、それとも寛文七年の破却のときに壊されたか…?

平坦な曲輪。
虎口の造作などもよく見えなかった…

それでも、末端の空堀はくっきり残っていた✨
もっとも雨の中だったし時間も押していたので、上から見るだけにした…

説明板に描かれていた案内図では、ここからさらに西に入ってゆくと堀切があるように描かれていたが、ちょっと入れそうもない…

というわけで、こちら側はここまでにして退散っ💨
枡形門まで戻って、反対側の本丸に行く。

戻る途中の右手に広がる、二の丸の下あたりの段々が目を見張るわ〜😮

さて、枡形門から東の方へ。

登ると、小さな曲輪が雨にけぶっていた。


奥の方では、土塁に囲まれた、これまた枡形らしい空間に道が吸い込まれてゆく…
ここは櫓門と呼ぶらしい。

中に入ると、正面に立派な土塁。
道はその裾で右に折れてゆく。

枡形の奥から振り返る。
両側の土塁が特にガッチリ😮

櫓門を通り抜けると本丸。
野球が出来そうなほど広大。
比高100メートルを超える山上にこれだけの規模の城を持っていたとなると、城主だった延沢氏は今で言う市とか郡とかの範囲を治めていたような有力者だったのだろう。


櫓門を振り返る。
カチッとした土塁を覆う緑が目に鮮やか✨

本丸には色々なものが立っている。
まずは城跡の標柱。
これも真新しく、平成二十八年(2016年)5月に立てられたものという✨

石碑たち。
別名の「霧山城」の名が…
今日はそんな名がぴったりの空模様…

さらに、麓にあったのと同じ説明板も。

真ん中あたりに小さな孔があった。
井戸跡と思ったら、「穴道址」とある😮
城内の本丸などから別の場所に脱出用の坑道が掘られていたという伝説はあちこちの城で聞くが(たとえば伊勢の家所城)、ここでも…??


南端にも、小さな枡形のような造作がある。
ここにも虎口があるらしい。

入ってみると、下10メートルほどのところに小さな曲輪のような平場が見えたが、降りるには目が眩みそうな急斜面を木や草に掴まりながら降りるようだった…
今日は☔だし、もう日暮れ寸前だし…

ということで、ここまでっ💨

それなりに比高のある山上に構える城ながら各々の曲輪はかなり広く、堀切などの防御遺構もそれなりに配された城で、見どころが多かった。
「霧山城」という別名にぴったりの空模様でもあったし
おかげで靴がびちゃびちゃ…😂

今回、本丸の東側に伸びているという東郭などいくつかの見逃しがあるので、機会あれば再訪したい…

【完】


★延沢城

山形県尾花沢市延沢

麓の常盤地区公民館の駐車場が利用可。

山城

 

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(2023年12月12日 記)