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山梨城はJR総武本線の四街道と物井の間、線路の南に広がる山梨地区にある。

築城年代は不明だが、戦国時代の中頃には千葉一族の千葉政胤が居城としていたらしい。

今は土塁の脇に妙見神社が残る。

 
この日は一日休みの週末で、物井駅から徒歩で訪問した。
まだ暑い中だった…
 
城は線路の南側にあって、線路沿いの道を四街道方面に行けばよい。
東関東道のガード下をくぐり、駅から1キロ強進んだところで南に入ると、すぐに「おおつかの森」が右側に現れる。

 
ここがどんな施設かは、ネット上では分からなかった。
 
『おおつかの森』を過ぎてすぐ、道路の左側奥に…

 

見えますよ…

 
小さな社叢林の中、社殿の手前に異様にゴツい土塁が左右に走っているのが見える😮
周りは集落、両側を住宅に挟まれて狭い城だろうに、恐ろしくゴツい。
 

土塁の真ん前まで行けそうに見えてしまうが、たぶん人の家の庭先。入り込むのは遠慮しておこう。

入口は、反対側へ回り込んで神社の鳥居からになる。

 

その手前、道路から30メートルほどだが、空堀が伸びている😮

左隣は住宅で、恐らくそちら側の切岸か土塁かは、崩されているのだろう…

ここも民家のすぐ裏で、踏み込むのは憚られる…

 

少し先の左側に、白く光る妙見神社の鳥居。

神社そして城へは、ここから入る。

 

すぐに社殿、そして説明板。

こぢんまりとしているが、今でもしっかり祀られている。

 

傍らの説明板。

鳥居の前の道路工事のときに常滑焼の大甕が出土したそうだ。

 

神社周りに残る土塁や空堀も描かれているが、それを見たところでは、神社は曲輪の一部で、東や北にもっと広がっていたように見える。

妙見菩薩は千葉氏が守護神として信仰していた。その妙見神社が後世の遷座ではなく明応元年(1492年)の創建から城内のここにあったことは、この城が千葉氏の強い影響下にあったことの裏付けになるのだろう。

 

説明板の裏側には、高さ2メートルばかりの重厚な土塁が横たわる。

鳥居の横あたりで道路工事により崩されたようだ…

 

そして、メインディッシュは社殿の西側に横たわっていた。

 

立派な空堀✨

 
向こう側は、先ほど県道から見えた土塁。
高さ3メートルぐらいか。
 

この見事な空堀も、残っているのは神社の横だけで、北側に折れを伴って伸びていた部分などは埋められて畑や住宅地になっているらしい😢

 

残っている遺構はこれだけだが、直線的に伸びた空堀の差し渡しは7メートルほどはあり、戦国時代ぐらいまで何度か戦火や緊張状態の中にあったような、厳しい雰囲気を感じた。

 

★山梨城

千葉県四街道市山梨

駐車場無し。JR総武本線物井駅から徒歩20分

平城

 

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(2024年2月28日 記)