小弓城は千葉の中心街から南にかなりはいったところ、京葉道路蘇我ICのすぐ南東にある。
南南東2kmほどのところに同じ名前の小弓城があったが両者の関係には今もって諸説あるらしい。戦国時代を通じて千葉氏の重臣原氏がここを守っていた。近世に入ると森川氏がここに入って生実陣屋を置いた。
今は住宅地などに変貌し、はっきりとした遺構は生実神社横の空堀と土塁が残るのみとなっている。
Wikipediaに記事がある。
9月に入ったが最高気温33℃と残暑の中だったが、本千葉駅前の亥鼻城からテクテク歩いて訪問。
途中、柏崎砦のあった生実学校は、今も緑に覆われた小高い丘になっている。
砦の切岸っぽい雰囲気もあるが、それだけしか見ることが出来なそう…
南側に生実池。
堤防のような道を挟んで北側には、蘇我池。
上空を275kVの超高圧送電線が渡ってゆく…
蘇我池の東側は、水路の流れる帯状の湿地を挟んで、段差が殆ど無いまま住宅地になっている。
それに対して生実池の東側は、低いながら森に囲まれた中に段があって、何となく城塁の面影を残しているように、…見えなくもない?
生実池と蘇我池の間を渡る築堤の道は、城の主郭すぐ南西にあった「風呂口」という虎口に通じていた。
今の風呂口は、住宅地の狭い切り通しを登る車道だが、虎口の面影があるか…?
大きな275kV送電線が通る下は調整池とのこと。
往時はここが城の外堀かと思っていたら、実は「ネコヤ」という曲輪の一部だったらしい。
ここから南に折れて200メートルほど進んだところにある本城公園が、城の主郭の南東に隣り合う曲輪だったという。
本城公園は一見したところ、ホント住宅地のフツ〜な公園。
西の方に説明板が立っている。
現在の地図に城の縄張りが重ね書きされていて、位置を比べられるようになっている。
今歩いてきた、275kV送電線から本城公園までの道は、ネコヤの外周を走る空堀を埋め立てたものだった。
本城公園の東の方を、曲輪外周の土塁が突っ切っていたように描かれているが、これも跡形もない💦
ともかくも、
往時の縄張りと今の土地利用のあいだに全くつながりが見えない🤯
衝撃的だ…
本城公園から、城の遺構が唯一残っている生実神社まで、そんなに距離はない。
住宅密集地を縫う狭い道は迷路のようだが、ほどなく社叢林が見えてくる。
もっとも、南に進んで表通りから入る方がラクなことはラク…
この土塁の向こう側にはすぐ社殿が立つ。
境内へは、その西側をすり抜けてゆくが…
ってことは、この向こうが大空堀〜🙌
が、土塁はやたらと踏み荒らしてはいけない。
ひとまず社殿の前まで行く。
西側を南北に走る土塁…
★小弓城
千葉県千葉市中央区生実町
生実神社の駐車場が利用可か。
平城 ※地図の位置は本城公園の旧本丸付近
(2024年2月20日 記)