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永明寺山に通じる林道の登り始め間もなくに構える諏訪氏館から山道を登ると、金毘羅神社に登りつく。

ここからが、城の心臓部になる。

 
社殿の左側を通り抜けてゆくと、大きな物見石が見えてくる。
主郭へは、ここから登る。
 
物見石は、上に何人か立てるぐらいの大きな岩。
が、物見櫓を立てられるようなとこじゃないな…
 

物見石と主郭の間には、馬出か帯曲輪のような平場が広がる。

ここに神社から登ってきた道と北側の尾根から帯曲輪状を通って入ってくる道がぶつかって、城内有数の要衝といった雰囲気。


ここに説明板が立っている。
だいぶ経っていて、草臥れてるな…

ここから見る物見石、てっぺんが丸っこくてツルンツルン、とても登れそうにない感じ…😮
ホントにこの上で麓の方の監視などをさせてたとしたら、スパルタだ…😨

さて主郭に登る。
道を外れて土塁を直登しようとする不届き者をたしなめる看板。
道のない城でも気をつけなきゃ😅💦


主郭虎口は、ホントに登ってきた道がそのまま曲輪に入っているだけ。
枡形はおろか、掘り下げたり囲んだりするようなものは何もない😮

主郭は、戦国時代の諏訪一族の城にしては、意外なほどコンパクト…
ソフトボール場ぐらいの広さか。

主郭に立っている説明板。
これもだいぶ草臥れてるな…

南東側には、何となく土塁のような盛り上がり…

北側にも、わずかに盛り上がった土塁の跡。
簡素だな…

そして、上原城主郭は四等三角点(その名も『上原城』)なんやね🤗
夏草に埋もれかけてるけど…


主郭にあるものはそう多くないので、搦手の方にある大堀切を見に行くことにした。

そちらは4年前にも見ている。


下の帯曲輪だか馬出だかに降りる。

途中から見下ろす物見石あたり、絶景や😮✨


ここから、細い武者走り状を通って北の方に進む。


行き着いたところは、大堀切の上の方だった😮
向こう側の「はなれ山」という盛り上がりが見えてくる。

せっかくなので、はなれ山の正面へ。
堀底からはそうとうな高さだが、天端は削平されていないようだ。


ここから大堀切へ降りると切岸をいためるので遠慮。

物見石の前から神社まで戻り、北東の方から伸びる歩道へ。


そして、左舷前方…


やっぱり、デカいな😮


城内の歩道は大堀切の東側を通り抜けている。
ここから眺める大堀切の断面。

たしかにデカいが、両側の斜面はそれほど鋭くないように見える…

ただ、ここから見上げる主郭は、高いよ😮
斜面には大岩もいくつか転がっている。

そして、この大堀切は歩道で終わりじゃない…
反対側を見下ろすと…

二重竪堀っ🤯

4年前に見たときも、存在を知っていた大堀切よりもこちらの方にビックリしたように思う。

大堀切から比べると断面は小さくなっているが、大堀切からほぼそのまま東に落ちてゆくこの竪堀は見事✨

数十メートル先で奥の谷に飛び出して終わっているようだ。


さて、城は大堀切までらしい。

大堀切を過ぎると城道ははなれ山の裾を通って、間もなく搦手口になる。
車止めは付けられているが、虎口らしいものはない。


大看板と、簡単な説明が書かれた説明板。
この前に車を停めておくことが出来る。

背後がはなれ山だが、土木工事されたらしい跡が見えない。

隣には、小さな石碑まで。
ここは立っているものが多いなぁ😮

戦国時代にこのあたりで勢力のあった諏訪氏の詰城としては、なんともコンパクトな城、というのが正直な印象だった。
麓の居館が敵襲にさらされたときに山上から戦闘の指揮を執るための司令所のようなものだった?

 

★上原城

長野県茅野市ちの

諏訪氏館付近と城の搦手側入口の少し上に駐車スペース有(リンクはともにGoogleマップへ)。

山城

 

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(2024年2月19日 記)