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森山城は千葉県も北東の方、JR成田線でいうと銚子手前の小見川と笹川の間あたりにボコッと盛り上がった丘の上に広がっている。
今は利根川から少し内陸に入ったところだが、往時は利根川沿いの平野は香取海という海だったとされ、その沿岸にそびえていた城だったらしい。
鎌倉時代に千葉氏一族の東胤頼が居城としたという。戦国時代には栗飯原氏、原氏と城主が交代しつつ、千葉氏が後北条氏の傘下に入ると拠点の一つとなった。小田原の役以降に廃城になったらしいがその経緯には不明な点もあるとのこと。
Wikipediaに記事がある。
シロウト時代に眼の前まで行きながらどこが城か分からず退散したことがあった😅
そんなこともあって、隣の須賀山城とまとめてGW後の最初の目標にした。
入口となるのは、国道356号が成田線の踏切を渡って急カーブを描くこの交差点(Googleマップ)。
1.5車線の街路はすぐに田んぼの中の道となり、ひたすら南東に向かって進む。
やがて、正面にポコっと盛り上がった森が見えてくる。
この盛り上がり全体が城山、存在感抜群だな😮
城山も麓で道は突き当りになる。
城へは右へ1100m先左折とあるが駐車スペースがないので、ここは左へ曲がってこのスペース(→Googleマップ)を利用するのが良いだろう。
ここは外堀の跡だそうだ。
城山へ登る道もあるが、急傾斜でマムシもしばしば見かけるので利用しないで欲しいとあるので、ここは素直に山の反対側の大手の方へ回る。
外堀と言いながらそれらしいものがぜんぜん見えなくて、ブツクサ言いながら西の方に向けて歩いていると…
道の横の単なる草むらに見える、ココ…
よく見ると、少し下の方に水が溜まっていて、地面より少し掘られているようだ。
コレ、空堀の名残に間違いないだろう。
この城で初めて見る遺構だぞ―🙌
じつは登りの時には見過ごし、後で探し当てたのだった…😅
山城の裾に空堀をめぐらすのは、山形の長谷堂城で見たことがあったか…
戦国時代になって合戦が大きくなり、一城の命運をかけるような大きな合戦の脅威にさらされるようになって、守りもより全体的にしなきゃならなくなった…?
城への登り口はいくつかあるが、駐車スペースから一番近いのは、星宮口(→Googleマップ)だろう。
城にとっては搦手にあたる。
道路からの入口には説明板が2つ立っている。
一つは全体図がカラフルで、縄張図としても十分😊
森山城の東側に須賀山城がくっついているような感じか…フムフム
もう一枚はだいぶ草臥れてるな…
説明板で予備知識を備えてから、いざ登城💨
この星宮神社に向かう。
登城道は、この鳥居の右脇から奥に続く山道へ入ってゆく。
早速、荒れ目の竹ヤブの中の登りになる。
すぐに、いかにも城の雰囲気を出す、クランク状になった堀底道状が現れたりして、テンション上がる🙌
そんな中を登ること10分足らずで、丘のてっぺんが見えてきそうになる。
道は堀底状に潜り、右カーブもあって視界が効かなくなる…😨
カーブを曲がると、見えてくる坂虎口状…
右手の上は土塁、
カーブの外側になる左側には、奥仲城から続く曲輪が広がっていた。
外縁には、しっかりと土塁。
ここから先ほど登ってきた城道を見下ろすと、寄せ手を狭い堀底状で一列縦隊にさせて、カーブの正面にこの曲輪を配して上の方から迎撃する意図がクッキリ…😨
ここから侵入されて、破られたら終わりだもんな…🥺
ここから、いよいよ城の主郭たる奥仲城へ💨
そこは、完全に畑だった😮
明らかに作物が植えられてバリバリ現役だし、隅の方には作業小屋らしいものも立っている。
道以外の場所に無闇と踏み込まないようにする。
畑の中のトラクター道を東の端まで進むと、森の中に虎口らしいものが見えてきた。
向こう側は、まだ見通せない。
傍らには新しい説明板が立っている。
そして…
御城印が掲示されとるわっ🤯
房総は土の城の調査整備に熱心なところが多く、一般には全く知られていないと思われる、地元にすら忘れられたんじゃないかと思うような城の御城印がさも当然のように制作されているのには驚くばかりだ。
それにしても、ここは現役で耕作されている畑である。
こんなところに説明板などを立てて外部の人が入れるようにするのは、人によっては相当イヤだろう…
そんな中でも整備に踏み切った地元、旧小見川町さらには香取市に感謝したい🙇
さて、森の中の虎口らしいところへと入ってゆく。
奥仲城は、この虎口や土塁が東端らしい。
トラクター道のまま、土橋状になっている。
側面の土塁には、何やら抉られたような小さな平坦地がある。
櫓門が立ってた??😮
そして、土橋の右側…
(小見川 森山城 その2に続く)
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(2023年12月15日 記)