向羽黒山城は阿賀川が会津若松に入る少し上流の左岸に盛り上がる白鳳三山の一番南、向羽黒山一帯を占めている巨大な山城。
永禄四年(1561年)に戦国大名蘆名盛氏が築城し本拠地とした。天正十七年(1589年)に蘆名義広が摺上原の合戦で伊達氏に敗れると伊達氏に接収され、その後は蒲生氏郷、上杉景勝と会津の支配者が交代する中でも使われ続け、上杉氏の転封により廃城となった。
Wikipediaに記事がある。国指定史跡、続日本百名城の111番。
4年前の真夏に一度訪問していたが、そのときは主郭部となる実城周辺のみ見て回っただけで、この城の雄大さや土木量の凄さを実感したとは到底言えない有様だったので、GW遠征の主目的の一つとして全山総なめにしてやろうと意気込んで乗り込んだ。
向羽黒山と一つ北の羽黒山との中間近くにある白鳳山公衆トイレ横の駐車スペース車を停めた。
まずは、駐車場のすぐ下にある三曲輪から💨
林道の隣に小山のように盛り上がっているのが、それらしい。
林道から山道が登っていて、歩いて登れそう。
ちょっと登ったところにある、ちょっとした段差の脇を登るところ。
そんな大げさなものではないけど、ちょっと虎口っぽい造作に見えるなぁと思って😅
段の上は、いかにも番所みたいのが置かれた曲輪っぽいし…
これは間違いなく城の曲輪だな。
松の樹林に覆われているけど、この曲輪からは会津若松の西の方に広がる平野がよく見渡せる。
物見っぽい役割があったか…
ピンクっぽいオレンジ色のヤマツツジが咲き始めている。
さて、次は林道の反対側の奥にある北曲輪と伝盛氏屋敷だっ💨
入口は、三曲輪への登道よりわずかに下。
踏跡は見えるが、道と言うには心許ない…
降りてゆくとすぐに、林道と直角にぶつかるように、東から沢のようなものが入ってくる。
って、明らかに直線だし、底が水平…
北側に土塁のようなものが盛られているし…
ぜったい、空堀でしょ😮
城の中心である実城(一曲輪)は、まだずっと上。
城の外れの方から、こんなダイナミックな土木の跡で楽しませてくれるとは😮
しかし、こんなのは序の口だった…
空堀に沿って踏跡を辿ってゆくと、ほどなく正面右手に上が平坦らしい盛り上がり、左手には空堀と向こうに曲輪のようなものが見えてくる。
屋敷へは、低い土橋のようなところを渡ってゆく。
ここから眺める南側の空堀が、またスゴいこと…🤯

ここから奥にも段郭のようなものが続いているようにも見えたが、これ以上踏み込むのは大変そうなので北曲輪の方へ移ることにした。
何しろ広大な城域。全域網羅するとなると見切りが肝心☝️
伝盛氏屋敷の南隣、一段高いところに構える北曲輪は、入ってきた踏跡から正面に見えている。
北曲輪は虎口より一段低い左手に広がっている。
野球も出来そうな広さに、一面の🌿🌿…😮
掻き登って林道に飛び出した💨
蛇でも居やしないかとドキドキの登り…
次に参るは二曲輪。
登り口は、少し先のココになる。
尚、この先の林道付近からは、麓まで続く竪堀が落ちているということだが、実際には谷全体が林道の盛土で埋められたようで、見えなかった…😢
他の竪堀のスゴさから連想するに、ここも相当なものだったか…?
まぁ見えないものはしゃぁない…
降りるのは骨が折れそうだし…
ってか、土砂の急斜面で危ない⚠
ってことで、二曲輪へ💨
(会津 向羽黒山城 その2に続く)
(2023年6月6日 記)