飯野陣屋はJR青堀駅から南の方1km足らず、住宅地と水田が広がる中にある。
東西500メートル、南北300メートルと陣屋の中では規模が大きく、日本三大陣屋の一つに数えられるとのこと。
このあたりは内裏塚古墳群があって、陣屋内にもその一つの三条塚古墳がある。陣屋の北の方はその遺構を利用して築かれたらしい。
7000石の旗本であった保科正貞が1648年に1万石の加増を受けて大名になったときに築かれたと言われる。明治四年(1871年)の廃藩置県ののち木更津県に合併されるまで藩庁であり続けた。
Wikipediaに記事がある。
陣屋の中心には飯野神社があり、少数ながら車を停めておくことも出来そう。
東の方から参道を入ってゆくと、神社の鳥居が立つ。
傍らには、新しく立てられた説明板が。
なお現在は、陣屋外周と三条塚古墳周囲以外の堀は全て埋め立てられたようだった…
広大な陣屋の中で土木の薫りを感じられるのは三条塚古墳を流用した三の丸西端部分だが、3年前に訪問したときにはその辺ばかり見ていたと思ったので、まずは外周の堀をぐるりと回ってみることにした。
まずは本丸の真ん中を貫く神社の参道を、南東の大手門らしい枡形に向かって歩く。
枡形は民家の敷地になっていて、土塁も陣屋の外周以外は失われているらしかった。
入口には陣屋濠の説明板と、神社の石碑が立っている。
南側へ回っても、同じような様子だった。
1ヶ所だけ、土塁が切れて堀に架橋されている場所があった。
橋の上から眺める堀
陣屋側から覆いかぶさるような梢がすごいなぁ😮
その西の方には、濠跡の大きな説明板が立っている。
西の方は、生け垣にしてはえらく高い樹木に仕切られていた。
水堀がガードレールと高い木の間で肩身が狭そう…🥺
陣屋の西側の辺に回り込むと、すぐに搦手門の跡が現れる。
それでも何か残っていないかと入り込んでみる…
中から門を振り返る。
枡形のような四角い空間が広がっているが、周りを囲むのはヤブ…
南側には、真っすぐ道らしいものが伸びている。
北側には、三条塚古墳の二重の周濠間の平坦地「角場」に出るらしいが、この通りのヤブで何も見通せなかった🥶
搦手門の北側に続く水堀…
わずかだが草を刈り取った跡がある。
さらに北へ進むと、三条塚古墳にもっとも近い入口がある。
ただしこれは後補らしい。
入ってゆくと、少し奥に古墳の盛り上がりが見えてくる😮
ここから飯野神社の方に向かってクランク状の道を進むと、三条塚古墳への入口がある。
やっぱり、土木の跡は三条塚古墳の周囲にあり、ということで、入ってみることにした。
外堀の残りの部分は、帰りに車中から眺めて済ませた…😅
すっかり住宅地になっていて陣屋の面影はなかったが…
(富津 飯野陣屋 その2に続く)
(2023年4月12日 記)