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 土やぐら城は多古町の南東端付近、国道296号から東に分かれた東総広域農道が大きくカーブする北側の丘陵の南東端に構えている。

物見台城がある丘の反対側にあって、まとめて「中城」と呼ばれていたという。またさらに北の方にある中城とも連係していたと考えられているものの、文献などには現れず詳細も不明という。


このあたりの城は駐車場所に困りそうな雰囲気だったので、道の駅多古あじさい館から徒歩でまとめて攻略して回り、この日はここが3城目だった。


→現在位置 

南の県道106号から『中城坂』から入る。
行きでは気づかなかったが、傍らには『中城坂』と刻まれた石碑も立っていた。
北の谷戸へ抜ける重要な道だったらしい。


車道は深い切り通しの中を駆け上がっている。

登り切るまでに、かなり奥まで引き込まれる。

城のある丘ははるか上、恐らく畑などの広がる向こう側だろう。

しかも、入口がないまま城の前を通り過ぎて、どんどん北に引き込まれてしまう…

 

これは、行けないかな…?

 

なんてガッカリしながら、右側に細い道が分岐してゆくこの交差点を通り過ぎようとした時…

 

なんと❗

ちゃんと入口の案内があるではないか🤯

矢印の先っちょが消されていたけど…💦

 

これなら、少なくとも城の前までは行けるな😊

安心して、トラクター道を進んでゆく。

 

道は、平坦な丘陵の東端に沿って付けられている。

端は樹林に覆われつつ急傾斜で落ち込む斜面、反対側は畑が続く。

 

そして、南の突端が見えてこようかというところで、東の方に大きな盛り上がりが見えてくる。

麓には説明板と標柱らしいものが見える。

 

ここが、城に違いない。

しかし…

 

ココ、通っていいのかよ〜?😮

 

トラクター道から説明板のある場所まで離れていて、間は畑のように見える…

 

しかしこの時、この手前の空間が何であるか、まだ気づいていなかった…😅

踏跡らしいものが南のヤブのキワから回り込んでいたので、畑のようなところを避けてそこから入った。

 
まずは白い標柱。
立てられたばかりのようだ。
 
そして、令和三年に立てられたばかりの説明板。
同じ丘の反対側にある物見台城と連係していたらしい事などが書かれているが、詳しいことは分かっていないらしい…

 
それにしても、こんなところまで探し出して整備を入れていたとは、驚くばかり。
何か、多古町の気魄のようなものを感じた。

しかし、説明板背後の斜面の急なこと😮

 
草に覆われているが、切岸加工された跡と見て良さそうだ。

 

説明板から少し南に戻ったところに、奥に入ってゆく踏跡がある。

しかも、土塁のようなところに登るためにトラロープまで設えられていたりして…

 

登ったところは、たしかに土塁の上だった。

主郭の西側を仕切っているが、周りもボサで分かりにくい…🥴

 
土塁の中が主郭らしいが、手前側は森の中だった…
 
そして奥の方は畑の作業場か何かで色々なものが置いてあったりする。
踏み込んではいけない雰囲気だった…

最初に見えた高い盛り上がりは、主郭の北側に立ち上がっている。
踏跡があったのでてっぺんまで登ってみたが、土塁がそのまま高くなっただけのような感じで、物見台には良さそうだが建物などを置けそうな広さは無かった。
 
ここから先は、ヤブに覆われている上に急傾斜で丘陵の下まで落ち込んでいるようで、踏み込むのはムリだった…
 
城はこれだけで、実際の広さも見て回れる範囲もコンパクトな城だった。
全体として、丘陵の先端を土塁で囲んだ、簡素な城だったようだ。
 
ところで説明板には、かつて外側に堀がめぐっていたとある。
しかし、城山の周りは掘られたような感じには見えない…
最初は空堀がどこにあるのか分からなかったが、南から眺め回して、やっとそれが分かった😂
 
この畑のような場所のことかっ❗🤯
気づくの遅いわな…😮‍💨
 
たしかに、城の西側から北に向けてぐるりと囲っていて、北側は両側も高くなって、堀のように見える。
 
これ全部が堀だったにしては、幅が広すぎるような気がする。
それでも、往時からこの姿ではなかったのかも知れないし、発掘調査などが行われたわけでもなさそう…
ひょっとして、この土の下にカーブする堀が埋もれているかもしれない、と妄想を掻き立てられた…

 

★土やぐら城

千葉県香取郡多古町南借当

駐車スペース無し、中城坂からの道も狭いので路駐も無理。

山城

 

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(2023年3月7日 記)