都道府県別索引へ 山梨県の索引へ

 

中山峠からきつい登りもある尾根を進むこと40分ばかりで、ようやく中山砦の北端にある堀切に辿り着いた🙌

 
この堀切は台ヶ原方面からの登山道が通り抜けて、堀切の西側で中山峠からの道と合流している。
東の方へ横堀状となって伸びて、東に派生する尾根の基部のほうへ続いている。
 
さて堀切を越えると、道は主郭に向けて登ってゆく。
右上に土塁の切れ目が見えていて、道はそこに向かっている。
 
振り返ると、さきほど越えてきた堀切。
城外側が低くて、切岸の補助的な感じがするな…
 

だいぶ浅くなった虎口を通って、主郭に入る。

思ってたよりこぢんまりしていて、差し渡し10メートルちょっとぐらいしかない…😮

 
虎口から南に伸びる土塁は天端が削れたようになっているが、奥に見える切れ目から向こうはグンと盛り上がっているように見える😮
 
反対側、北端の土塁はカーブがカッコいい✨
 
立派な土塁で守られた主郭のようだ。
 
北東の端っこには、しっかりした説明板が立っていた。
今見返したら武川村当時のものだった…

 

縄張図も描かれていて、北、北東、南に伸びる尾根の基部に堀切や土橋を設けて守りを固めている様子が見て取れる。

城郭としてはそんなにデカくはなさそうだけど、東の方には結構たくさんの帯曲輪が重なってるんやね…

 

この説明板から少し南に下った東辺の土塁には、虎口のような切れ目があった。

外に出て主郭を覗き込んでいる

 

この下には帯曲輪が走っているが、後で下に回り込んでみたところでは土塁の切れ目よりもかなり下で、しかも山の斜面そのまんまの急傾斜だった😮

 

主郭は南北に細長くなっているが、その真ん中で切れ目のある土塁にぶった切られている。

 

北側に比べて、南側は倍ぐらいの広さがある。

が、それにしても駐屯できるのはせいぜい百人規模、といったところか😮

 

こちらも四周をガッチリと土塁に守られている。

特に南端の土塁は、形のとどめっぷりといいカーブしている様子といい、カッコいい遺構だった😎

 

後光を浴びると神々しいね✨

 
主郭南端の土塁から切岸の下には、段郭のような曲輪が横たわる。
 
 

縄張図を見ると、その東側に三日月堀のようなものが描かれているが…?

 
あるじゃん😮

 
巾3メートルほどの細い堀が、北にカーブしながら続いていた。
外側の土塁も、ちゃんと盛られている。
 
北側の末端まで行って振り返るのが、いちばんカッコいいかな✨
 
三日月堀のある方向の外側には、少し下りつつ尾根が続いているらしい。
そういえば、三日月堀の端あたりを通って尾根の方から登ってくるトレイルがあったような無かったような…
こちら方面をガッチリ守る必要があったのだろう。
蒲郡の岩略寺城にも、こんな感じの三日月堀があったなぁ…
 
三日月堀の向こうには、一段上がって帯曲輪が続いていた。
砦の東側を南北に走っていて、重要な動線だったか?
 
北の方まで行くと一段下の帯曲輪が見え、そこから竪堀が落ちているようだったので、降りてみた。
 
帯曲輪はごく細く、建物などは置けなそうな感じだった。
そして、竪堀以外のどことも繋がっていない…
見張りに使われていた?
 
竪堀は、この帯曲輪の北端付近から始まっていた。
曲輪が竪堀に大きく抉られているようにも見える。
 
巾は5メートルぐらいか。
長年の風霜を受けてか、すっかり浅くなっていた…
 

この帯曲輪はどこにも繋がっていないようなので、登り返して主郭裾をさらに北に進む。

 

北東の端あたりからも竪堀が落ちている。

 

このあたりで、台ヶ原方面からの山道が東の尾根から入ってくる。

これをたどれば、主郭北辺の堀切の中を抜けて中山峠からの道に戻れる。

 

南、東に伸びる尾根上にはそれぞれ土橋で渡る堀切が穿たれていたようだが、見逃した…😅

 

砦で出会った地元の方に聞いたところでは、この中山砦への登路は、中山峠の他に南の武川、東の台ヶ原あたりからの3ルートあって、中山峠からのルートがいちばん急らしい。

残りの2ルートは、軍勢がより侵入しやすかったということだろう

 

ということは…

 

大手道と思われる中山峠側だけでなく、東と南に伸びる尾根の方もちゃんと守る必要があった、ということだろう。

主郭だけ異様に立派な土塁で囲んでいたり、砦には不釣り合いなような三日月堀まで備えていたりと色んな方向に対する防御を固めていたのは、そのためだったか…

 

★中山砦

山梨県北杜市白州町横手

登り口の中山峠周辺は車を停めるスペースは数台分。シーズンには満杯になる。

山城

 

都道府県別索引へ 山梨県の索引へ

 

(2023年1月15日 記)