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実は、この日までに宇陀松山城には2度登っていたが、昼に登ったことは無かった。

過去、登ったのはぜんぶ夜だった。

もちろん、撮ってたのはこういうヤツ…😅

(2020年3月20日撮影)

今年2城目に、その昼の姿を見に行くことにした。

せっかく近世初期まで使われた宇陀松山城に行くからには、城下町であった大宇陀の町並みも見て行こうということで、道の駅大宇陀から北の方に歩いて町並みに入って行った。

 

まぁそんなに隅から隅まで丁寧に見てはいないのだけど…😂

 

江戸〜大正までの間に建てられた町家が多いという町並みは、中山道の奈良井宿と似たような雰囲気に見えた。


宇陀松山藩の城下町の大手門だった西口関門の方に歩いていて、たまたま通りかかった恵比須神社も…😅


西口関門は国の史跡に指定されている。

外観が黒いところから『黒門』とも呼ばれていたという。


門の建物は簡素な高麗門だが、前に外枡形を持っていて進路を北に折り曲げ、門の中でも西に折り曲げる造りになっている。

まだまだ戦乱の続いていた江戸初期に造られた町だけあって、こういうところは軍事色が残ってるな…



大宇陀の町は、この西口関門から春日神社の入口となっている春日門までが大手筋にあたり、町を東西に貫いている。

春日門は石垣だけが残っているが、東西2つの櫓台と、間から登る石段からなっている。

これは17世紀後半の藩屋敷造営に伴うものであるという。


春日門からは、そのまま春日神社への参道が続いている。

灯籠が左右に並んでいて、参拝者を境内に導いている。


城への登り口がどこにあるか分からなかったこの時は、神社の境内にそれがあるのかなぁと漠然と考えて、そのまま境内まで突進した。

途中に重要な情報が書かれた張り紙があったのだが、この時は思い切り見逃した😅

 

社殿は石垣の立派な台の上に構え、荘厳な雰囲気を醸し出している。

が、城の登り口は、ここには無かった…😨


春日門の横から並走して神社の横を通り抜けるコンクリ道にまで入ってみたが、水道設備に至る道で、城への入口は無かった😮💦💦

 

一体どこ〜?😭

 

仕方なく参道まで戻り、灯籠の1本をふと見ると、

『秋山城跡地には

 直進して石段を登り

 手水舎前を右折して

 山裾を進んで下さい』

なる張り紙がしてあるではないか😂


思い切り見逃して、ムダ足こいちまった😅

 

神社の方に向かって進んでゆくと、確かに手水舎の前、境内に入ってゆく階段の右側から直進してゆく道が出ているではないか😂


やっと、城に登れるぜぃ💨

と、喜び勇んで山道に入って行ったんだが…

 

この道はホントに登城道だったのか?

 

と思うほどの細い山道だった。

ともかくも植林の中をかなり急傾斜で登っている。

階段などが整備されていて、歩くに不安は無い。


同じく近世まで使われた高取城の登城道もこんなんだったし…

なんて思いながら登っていると、10分ぐらいで上の方が開けてくる。
詰めは虎口っぽいし…

すわ城内に登りついたか❗
 
…と思ったら、そこは南から登ってきた林道の終点だった。
この道、コンクリ舗装にガードレール完備、少し下に駐車場のようなスペースまで整備されていながら、いまだに入口で封鎖されたままだった😮
杉の立木から落ちてきた枯れ枝が積もってきているようだが、開放する意図があるのだろうか?
 
ここから上が、いよいよ城の遺構が残る核心部になってゆく。

 

宇陀松山城 その2に続く)

 

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(2023年2月8日 記)