手子丸城は、今は高崎市となった倉渕方面から北上して東吾妻町に入ったすぐのところ、 温川と見城川の合流点東側に構えている。道路でいうと国道406号に県道58号が入る大戸交差点に近く、すぐそばに大戸関所跡がある。
東西400メートル強、南北400メートル弱にも及ぶ広大な山稜に東西2つの郭群を置き、それぞれに堀切や切岸・土塁など、かなりのスケールで土木工事を施している。
じっくり見て回るとなると丸一日ほしいところ。
このあたりを本拠地としていた国衆、大戸浦野氏の居城とされているが、築城の経緯や戦国時代以前の来歴などは不明らしい。
Wikipediaに記事がある。
この日は晩秋の気持ち良い晴天だったが、朝寝坊したうえに登り口を探してウロウロしたせいで、出発が昼前になってしまった…😅
城の南側に登り口があるらしいが、車を置く場所がなく路駐するしかないので、北側を探してみる。
県道58号のここから細い林道に入ってゆく。
温川を渡る橋から150メートルほど北に進んだところで、『鳩ノ湯温泉 あと10km』という看板が目印になる。
コレが北を向いてるので、倉渕方面から来ると見逃しやすい…😅
林道は車幅いっぱいぐらいしかなくて、しかも轍が抉れている💦
普通の乗用車でやっと、ぐらい…
突き当りにスペースがあって、そこに車を停めて出発。
送電鉄塔巡視路の黄色い標柱が目印。
枕木を4本並べた橋で沢を渡り、落ち葉の積もった広い道で尾根に登ってゆく。
尾根に登りついたら、ほぼ真っすぐ南へ尾根をたどってゆく。
しばらく進むと、左側眼の前に送電線が…
道は堀底状とまでいかないけど、少し掘られているように見えるところもある。
そしてココは、右側に尾根を切った堀切状、左右に落ちる竪堀状に、道は真ん中を土橋状で越えている…😮
城の遺構…?
そして、正面にこんもりとした小尾根が見えて、道が左に折れるところ…
堀切やーっ❗😀
これは、間違いなく城内外を仕切るところの一つだろう。
登り始めから20分くらい…
いよいよ巨大山城グランドツアーの幕は切って落とされたっ💦
この堀切のところから、歩道は尾根線から離れて東側の裾を進むようになる。
そして、小山を一つ回り込んで右側を見ると、さらに堀切が…
堀切のある広場の正面には小山が鎮座しているが、まだ主郭までは遠いらしい。
道に戻ってさらに城内に向けて進むと、またまた右手から支尾根が降りてくる。
上の主郭へ登るのは後にして、まずは曲輪の奥の方へ行ってみる。
その下に、小さな堀切が見える😮
この堀切、細い尾根をわずかに掘っただけのものだったらしく、しかも外側の土塁がすっかり大人しくなってしまって、ごくささやかにしか見えなかった…
…って、
ここから隣の尾根の堀切が見えるんかいっ🤯
手前の樹林がちょっとうるさいが、西隣の尾根に明らかに人工的に穿った大きな堀切が見えるではないか🤯
手前には深い谷…
堀切の背後には、はるか向こうの巨大なガケを従えた山…
これは、見に行かなくては!
この谷へ降りて向こう側へ登った猛者がいた🤯
翌年3月に房総の造海城、峰上城、真里谷要害城をまとめて攻略するという(記事執筆中)、恐るべき剛健さを誇るあのオフメンだ🤫
(東吾妻 手子丸城 その2に続く)
(2023年3月23日 記)