本与板城は長岡の街から北西にかなり離れた信濃川の対岸、与板地区の北西側の山中に構えている。
上杉謙信麾下の直江家が居城としていたことで知られるが、謙信死後の御館の乱のときに南の与板城に移転し、本与板城は支城となったらしい。
与板城と並んで規模が大きく、この地域を代表する山城という事で、小木の城の次のターゲットにした。
国道403号から与板の町に入り、県道274号のこの交差点から山の方に入ってゆく。
本与板城への案内が要所にあるので、迷うことはないだろう。
登ってゆくと駐車場があるが、普通乗用車3台分ぐらいのささやかなものだった。
登り口は、駐車場から40メートルほど先にあった。
麓の直江屋敷から登ってくる道も入ってきている。
車道が登城道を横切るように付けられたようだ。
直江屋敷に向かって少し降りたところにも『城山』なる遺構があるらしいので、まずは直江屋敷に向けて降りていった。
なかなかに立派な切通しの道が100メートルばかり続く。
その下、正面に石仏が見えるところで、切通し道がクロスしていた。
ここから直江屋敷へは左に降りてゆくようだが、その切通し道も立派で、堀切と言っても良いくらいだった😮
城山へは正面右に登ってゆく道に入ってゆく。
入ると、次第に空堀の中のような道になる。
その奥で再び交差していて、白山神社へは左に進む。
この道も切通しの中だった。
上から見ると、寄せ手を一列縦隊にさせて上から攻撃できる、虎口のような造りになっている😮
そんな大そうな遺構ではないけど、これだけでも城郭としての機能を持っていたらしいことは、見て取れるな…🧐
ここを越えると、道は次第に斜面を絡むように登ってゆくようになる。
そして、小山のてっぺんに白山神社があった⛩
傍らに説明板もある。
直江実綱が城主であったときの庭神様であったらしいとの事。
今でも毎年4月21日に祭祀が執り行われているらしい。
社殿の奥はさらに一段高くなっていて、櫓台のような感じになっていた。
ヤブがひどいので入らなかったが…😅
虎口のような分岐を右に進んで城山の東側の方に行くと、道はだんだん頼りなくなってくるが、左上の尾根に立派な堀切が切れ込んでいるのが見える。
そこまで登る踏跡も、ちゃんとあった😮
堀切は小さくて🌿🌿で覆われていたが、たしかに尾根を断ち切っていた😮
城山で見ることのできる遺構はこんなものだろうが、周囲から鋭く立ち上がった山容に尾根を切る堀切、掘り込まれた虎口のような道など、小さいながら城郭の機能をちゃんと備えているようだった。
さて、戻って本与板城本体の攻略に取り掛かるか💨
(本与板城 その2 実城へ に続く)
(2022年6月8日 記)