発坂城は、国道465号が夷隅川沿いの内陸から海沿いに出るところの発坂峠の山上に構える小規模な城で、万喜城の土岐頼春が里見の軍勢を襲撃するために築いた陣城だった。
城の真下には発坂峠を越える峠道が走っており、いすみ市の史跡になっている。
発坂峠の入口は下を通る佐室トンネルの西側にあるとのことだったが…
行ってみると、現地には新しいトンネルができ、旧隧道は封鎖されていた😮
そのすぐ隣に、発坂峠への入口はあった。
完全に神社の参道になってますナ⛩️
傍らには、峠の説明板が。
城というよりは陣地と扱われているような感じだな…
道は近世〜明治三十年頃まで使われていたか。
発坂峠の戦いの頃は、どんな道だったんだろう…?🤔
道は堅く締まった土で、ところどころは砕石が敷かれていたらしかった。
下の方は緩やかで歩きやすいが、上の方は急傾斜になってくるし、ジメジメしていて岩の上などは滑りやすい💦
少し行くと、上の方に白い岩盤剥き出しのガケが立ちはだかる。
道は、ガケの右に出てから斜めに登ってゆくようになっているが、滑るので注意💦
峠道は、このガケの上を通っていた。
他の場所は幅3〜4メートルあるが、ガケのところだけ路肩欠壊して狭くなっていた😨
では、まず東の大きな切通しへ行ってみよう💨
歩きやすい道の奥の方に、すぐに切通しは見えてくるが…

城への入口は、峠道を西の方に進んだところだというので、西に反転する。
道は西に向かって高くなってゆく。
仕方ねぇ〜💨
…というほど酷くはなくて、10メートルも突進すると、尾根北側の明瞭な平場が現れた。
そして、この馬出状の下には山腹を斜めに登ってくる道のようなものが付けられているようにも見える🤯
倒木がめちゃくちゃに折り重なっていて、突っ込むと面倒くさそうだったので、やめた😅
でも城から峠の東西両方にアクセス出来るように間道を築いておいたのか…な?
それとも、戦国時代にはこちらが峠道だった?🤔
さて、この馬出状の南側が城だが、よく見ると尾根の天端少し西側に、城に向かって登ってゆくらしい踏跡が見える。
そこを登ってゆくと、100メートルほどで主郭に出た。
南側は鋭いガケになっていて、発坂峠道を見下ろすことができる。
もし下の峠道が戦国時代に開削されていたとすると…
いざとなれば、ここから街道を通る軍勢にも攻撃を仕掛けられる位置取りだな😨
城はちょっと規模小さいけど…
主郭の北には、小さな岩盤の盛り上がりがある。
小さな盛り上がりだが、ちゃんと動線も刻まれている😮
登ってみると、2畳くらいの狭い平場があった。
櫓台か何かかな…?🤔
城はこれだけだった。
峠道を進んできた軍勢に上から奇襲を加えるために急造された城なことが伝わって来るが、険阻な峠の地形を上手く活かして築かれたと言えるだろう。
実際、土岐頼春の軍勢は大原方面から侵入してきた里見の軍勢をここで打ち破っていて、城の機能が遺憾なく発揮されている。
目をつぶると、その様子が妄想される…前に、ガケから落ちそうになるワ〜💦
当時の峠道がガケの下を通っていたかは分からないけど…😅
★発坂城
千葉県いすみ市
旧隧道の坑口前に駐車できる?
山城
(2022年5月10日 記)