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川尻城は、続百名城の古宮城の北に構えていて、応永年間(1394〜1428年)に上野国から移ってきた奥平氏が最初に築城した城とのこと。

そして手狭になって、すぐに南の方に亀山城を築いて移っていったが、その後も支城として使われたらしい。

それだけに戦国時代よりも前の姿をとどめているが、公園化され誰でも気軽に訪れることがようになっている。

 

国道301号のこの交差点から東に入ってゆくと、途中で城に登ってゆく車道が左に分かれるが、この道に入っても車を止める場所がない上に転回すら出来ずに鬼バックで降りてくることになる😨

駐車場は、その奥のココらしい。

 

城への登り口は、駐車場のすぐ前の階段になる。


 間もなく舗装された車道に合流し、登ってゆくと冠木門が見えてくる。

ここは主郭の南側の下段に展開する曲輪への入口となる。


車道はここでヘアピンカーブになって主郭に向かって登り続けるが、これはもちろん後世に公園化されたときのものだろう。

冠木門の前から曲輪に入ると、北側の主郭切岸が高い。


曲輪は、斜面の真ん中に造成された段郭になっている。

奥の方から振り返って見たところ。


曲輪の奥で歩道は左に折れて、上の曲輪の裾に沿って進むようになるが、右側にある土塁のようなところと高さが同じで、元々空堀状だったところが埋められたか?

この外側が、東西に長い曲輪になっている。


北側には、細いながらも土塁がある。

往時から残っているものか、公園化のときに積み増されたものかは、見ただけでは分からなかった…


この土塁は、曲輪の東端まで続いていた😮


登城道は西に折れ曲がって、主郭へと登ってゆく。
途中には、土塁と主郭切岸に挟まれた狭い曲輪が横づけされていた。

ここから主郭へ、斜めに登ってゆく。
ちゃんと坂虎口になっているな…

主郭東側の土塁は、高さ3メートルぐらいありそうな立派なものだった😮

そして主郭。
ソフトボールぐらいなら出来そうなほどの広さがある😮

中央には、天守台とも言えそうな大きな盛り上がりがあった😮

 これで城の全てらしい。


土塁や空堀をめぐらすような技巧的な感じではないが、麓からの急峻な立ち上がりを活かして、加工を最小限にしつつ防御力を高めた城らしい。

奥平氏が応永年間に作手にやって来て最初に築城したとのことだが、規模といい遺構の様子といい、城がぐんと進化する戦国時代より古い時代っぽい様子が、なんとなく見て取れた。

 

★川尻城

愛知県新城市

登城口前に広い駐車場あり。

山城

 

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(2022年4月19日 記)