この真名城、とにかく入口が分かりにくい💦
最初は主郭にある八幡神社への入口が分からず、圏央道沿いから入ろうとしてウロウロしたが、どこも深いヤブの急斜面で、とても突入出来ない💦
地理院地図を見ると、南の安養寺から八幡神社に向けて山道が描かれている。
(電子国土webより。寺社名のみ加筆)
真北の尾根に登り詰めた後は、尾根の西側をトラバースするような感じで八幡神社の西側に出るように描かれている。
これに一縷の望みを持って安養寺から小詰の南の曲輪まで突入した様子に、ちょっと触れてみるか…
安養寺に入り、西の方の墓地まで行くと、その奥の方にそれらしいトレイルがある🙌
しかしこれは、どうやら一流のトラップだったようだ😨
この先は壮絶な倒木帯で、トレイルはすぐに見えなくなってしまった💦
道はこの下に隠れてるの〜?😭
もう仕方ないので、この累々たる倒木の下にトレイルがあるんだろうと信じて、地図の通り北に向かう。
ちなみに、この一帯には内来地という地名があって、城壁にされた尾根に北側を守られた居館などがあったかも知れない、という🤔
しかし、トレイルを見つけられないまま、土の急斜面に出くわしてしまった💦
1ヶ所だけ登れそうな場所があったので、取り付いてみるか💦
比高20メートルばかり登って尾根が見えてきたところに、突然堀切らしい尾根の切れ目が現れた🤯
いや、間違いない😮
城を構成する尾根に出た🙌
小詰は西の方だが、まず城外側に向かって尾根を東に進んでみた。
尾根は細く、人二人が並んで歩けるかどうか、というところだった。
すぐ先の南側に大きな崩壊地があり、その先はヤブで通れなそうだった。
引き返して、堀切の西に向けて尾根に登る。
こういう場所は尾根上が一番歩きやすいことが多いので、とにかく尾根上を行くことにした。
しばらく進むと、前方左側に帯曲輪らしいものが見えてきた😮
北には虎口状がある😮
そして、裏には井戸のような大きな穴が開いていた🤯
このあたりからは、小詰の上にある曲輪の切岸が、よく見える。
先端は傾斜が鋭いので、奥の方の傾斜の緩いところを探して登れば、小詰の上の曲輪に到達する。
前日に登ったときは、ここから北に広がる小詰を見落として、北東から入ってくる尾根に引き込まれたが、それは小詰がこの曲輪よりだいぶ低くて見つけにくいからだった💦
低山を歩くときは周囲をよく見ましょう…😅
そして、帯曲輪が城の南西に伸びる尾根の起点にもなっていて、尾根上の2本の堀切もある。
尾根はわりと細く、山稜上を加工して城壁に仕立てた房総の城の面目躍如といったところ。
まもなく、最初の堀切が現れる。
浅い堀切で、尾根線を土橋で渡らせるタイプのようだ。
この先、尾根伝いに進むとトゲのある低木が多いし、先の堀切まで降りるのもなかなか大変。
この堀切から西側に5メートルほど降りると斜面に沿って踏跡が付いているので、そちらから進むのが良い。
100メートルほどで、尾根がバッサリ切れ落ちる😮
その下には、これまた見事な堀切が穿たれていた🤯
しかし、ササだの低木だのがジャマったら無い…💦
反対側から眺めると少しはマシかと思ったが、所構わず生えている木のジャマなこと…💦
この先にも細尾根が続いているが、戻って主郭から北へ行くか💨
小詰に降り、荒れた竹ヤブの中を戻り、主郭下の竪堀状通路まで戻ってきた。
主郭への道は八幡神社への参道になっていて、コンクリの階段に手摺りまで設えられていた😮
ちゃんと来る人いるんじゃん😮
裏側に広がる主郭は、野球の内野ぐらいの広さか…
神社の裏には、下に降りる虎口のようなものがあった。
そこから降りると、わりと広い段郭があった。
主郭を守る馬出のような感じの曲輪だな。
主郭に比べると、草かなりボーボー…
西の方に行くと、主郭の裾を通って下に降りられるようになっている。
道は曲輪の西の端を通っている。
東側の曲輪を見てみるが、ドヤブでとても踏み込めそうになかった…🥶
ま、めぼしい遺構は無さそうなのでスルーして北に向かうと、道は尾根の上に登る。
東側の曲輪を守る土塁だったのだろう。
この尾根から降りた右側に…
カッチョえ〜🤩
主郭下のよりはずいぶん小さいが、やはり竪堀のようなものが登ってきていた。
これも、麓に通じているのかな…?
ここから北にも城域は広がっているらしいのだが…
ムリムリ…🥶
この倒竹のヤバさはハンパない💦
小詰を上回るだろう…
というわけで、ここで撤収することにした。
この竪堀状通路、まるで高速道路の掘割のような風貌をして、100メートルほども続いていた。
激萌えだ✨
下の方、郭3あたりの切岸から麓まで続く土壁も、これまた見事✨
降りてきた場所は、このあたり だった。
イノシシよけの電線が張られているので、触らないよう注意が必要。
結局北の方に入るのはやめたが、その部分も含めると南北1km、東西400メートルにもなりそうな、相当巨大な城だったようだ。
周囲に城に関係しそうな地名が付いた谷戸が何ヶ所もあるようだし、主郭下の巨大な竪堀を穿つには相当な規模の土木工事が必要だったろうし、城主であった三上氏は相当な勢力を持っていたのだろうか。
そんな巨城が、八幡神社以外は完全に忘れられて人の入らぬ荒れた山になっているのが、なんとも残念
【完】
★真名城
千葉県茂原市真名
駐車場無し。付近の路肩に路駐になる。
山城
(2022年4月4日 記)