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安宅八幡山城 で満足した次は、日置川のちょうど対岸にある安宅大野城に行ってみた。

安宅氏執事であった大野氏の居城とされていて、安宅本城の西の守りを固める位置関係だ。


車は春日神社の駐車場に置いておけるが、2台分くらいのスペース。

車を説明板のある側に停めようとしたら、隅のほうが盛り上がっていてバンパーの隅を擦ってしまった💦

 

駐車場には立派な説明板がある。

今残っている城跡の北側は土取りされて現状をとどめていないだけでなく、北の鞍部付近にも後世の撹乱があって、遺構か否かの判定が難しいとの事😢

さらには発掘調査も未実施という。


神社の境内に登ると、左端に城への入口の案内があるので入ってゆくが、見えているのはどう見ても踏跡程度の頼りないトレイル…💦

でも、私有地は掲示なく立入禁止もあるので、このような案内は非常に有難い🙇✨


立入禁止などでなければ、たとえ踏跡が無くてもこのぐらいの山で怯む理由は無いので、どこが道だか分からないような斜面の適当なところを登ってゆく。

少し入ると、すぐにそれらしいものが見えてくる✨


お天気がピーカン過ぎて、多少の加工じゃパンダで何が何だか分からんわ〜😅
それでも、土塁か切岸の手前に空堀が走っている様子が見えてきて、ヤター🙌となるところ。

 

ここから見るとハッキリ空堀だが、底に入ると大人しい印象になってしまうのが、不思議だ😮

特に外側の土塁が殆ど無くなっているのが…


現れた土塁の向こうは曲輪2で、北に並ぶ曲輪1との間に緩めの堀切がある。
かなり大きいのだが、特に曲輪2側の傾斜がユルユル…

それでも、ここから見る曲輪1は、かなりの迫力😮

その前に曲輪2へ。

そんなに広くないだけでなく、外側の土塁などが全然見えない…

奥の方が一段高くなっている。

そして、さきほど登ってきた南側にだけ土塁が見える😮

曲輪1に登る前に、西側にある横堀へ。
堀の中は完全にシダの園ですな…

それでも、外側の土塁はわりと目立っていた😮

この付近の斜面から適当に曲輪1に登る。
虎口らしいものは見当たらない…💦
テニスコート2面分くらいの広さか。

土塁も何も見えなかったが、奥の方がわずかに高くなっていた。

北東側に少し降りると、帯曲輪のような平場がある。

それほど長くはない帯曲輪状を北に進むと、曲輪1の北端に隣接して馬出のような少し低い平坦地があった😮

よく見ると、この平坦地の西の方から曲輪1に登ってゆく土橋のようなものがあった😮

後世の改変を受けている可能性があるということで、コレも後補かも知れないけど、ココは曲輪1の虎口だったか?🤔

その北側には、窪んだ平場があった😮
写真の左側は土橋で渡っているように見える。

この窪み、そのまま沢状になって西に落ちていた。
急傾斜ではあるが、歩いて登れないほどではなかった…
退出する時はココから降りたのでふ…😅

ここが説明板にあった『北の鞍部』らしい。

どうもこの城の大手口は北の方で、道路の横に落ちるこの谷を登って北の凹地から外側の土橋へ回り込み、馬出状に出て登っていったように見えてしまう。

ただ説明板にもあった通り、このあたりは後世の撹乱があるとの事で、どれが撹乱の痕かも読み取れないようなワタシが城の遺構か否かを見極めるのは、無理ゲー😅


窪地の奥は土塁で囲まれているように見えたが、そこから先はゴッソリなくなっていた😢


左側のバッサリ切れ落ちた方が土取りの跡が、こんな急峻な土壁になるのね…😮


ともかくも、平地の城が開発にさらされて失われやすい事が、痛いほどよく分かった。

恐らく春日神社の社叢林になっていたところが残っているのだろう。

今の歴史研究に寺社などに残るものが欠かせないのが、文書などだけでなく城の遺構などでも言えることが、何となく分かるような気がした。

 

★安宅大野城

和歌山県西牟婁郡白浜町大古

春日神社の駐車場を利用可。

山城

 

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(2022年1月20日 記)