あっという間に新しい年に突入じゃ〜💨
南紀・大和方面の遠征も、4日目に入った。
安宅八幡山城は、日置川の河口から数キロ上、紀勢本線が日置川を渡る左岸の山中に眠っている。
安宅水軍の本拠地安宅本城の詰城の一つで、享禄三年(1530年)、安宅定俊が新年の宴で安宅安定方の家老を殺害するという事件がここで起き、これをきっかけに定俊方と安定方が衝突するお家騒動『安宅一乱』のきっかけとなっている。
2022年最初の登城には、麓に安宅八幡神社があって一瞬だけでも初詣気分になれる、この城を選んだ。
初詣とか全然しない人だけど…😅
登城口のすぐ近くに駐車場があるというのは、実にありがたい😊
そして登城口の脇に説明板が立っている。
登城口の案内も実に分かりやすい😊
道は山裾を少し這ってから、急な斜面を階段で一気に登り始める。
津波避難路となっていて、トラロープで手摺りも付けられている。
これ地元の手弁当か…?😳
それでも、比高がさほどでもないので、気はラク😅
ほどなく、主郭部の下の横堀に登りつく。
城道は土橋になって渡っている。
相当でかい登り土塁状で、下から見てたんでは土橋と分かりづらい😅
まずは横堀を南に進んでゆく。
末端まで行くと、外側の土塁に切れ目があった😮
その先には帯曲輪状が続いていた。
そして…
何じゃこりゃぁ😮
ココは三の曲輪の南側の裾にあたるが、東の方からものすごい大きさの竪堀が落ちてきていた😮
登ってゆくと…
堀切の外側の尾根にも登ってみた。
城の南側はここまでなので、城道まで戻った。
こんどは横堀を北へ。
横堀を渡る土橋の上から俯瞰してみたんだが…
スゴいわ😮
外側の土塁もシッカリしている🤗
ドンづまりまで行くと、グイとカーブして土橋状になって終わっていた。
ここから上の曲輪まで登ってゆく動線は無いので、これは土橋ではなく土塁だろう…か😅
その外には、これまた長〜い竪堀😮
そして、この竪堀を登って左にカーブすると、主郭部北側を仕切る横堀になるが…
長〜〜っ😮
思わず叫んじゃったわ😅
もう、堀切ってより横堀だろ😮
両側も静かに岩盤ムキムキ…
奥の方に行くと、もう堀というより曲輪と呼びたくなるほどの広さで、底が平坦になっていた😮
その奥がこの堀切のドンづまりなんだが…
向こうに見えるのが堀切の東端。
これもデッカイ✨
この城の地山、わりと堅固な岩盤の上に築かれていたんだな🤔
それを見抜いて築城場所に選んだか…?
城の南北両端の堀切は、上の曲輪から降りるのがまず不可能(懸垂下降でもするか?)なので、西側に横たわる横堀からアクセスするのが良いだろう。
さて、城道に戻って二の曲輪へ登るか💨
(南紀白浜 安宅八幡山城 その2 に続く)
(2022年1月5日 記)





















