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要害山城 、熊城と甲府の北の方の城を首尾よく攻め落とした後は、笛吹の方にある小田野城に向かった。

安田義定が築いた城と言われるが、詳細は不明らしい。

 

実は過去に一度、麓まで行ったが駐車場難で断念したことがあって、このあたりに車で乗りつけるのは中々に敷居が高い💦

この時は、麓の普門寺に停められるという話を聞いていたのでアテにしていたが、先客がいて停められなかった。

仕方なく、集落から山の方に入ってゆく道が行き止まりになっていたので、そのドンづまりに停めて歩き始めた。

 
普門寺の本堂前を通り抜けると、小田野城への登山口の案内が現れる。

 
この奥の方で右に曲がると獣柵の扉が見えてくるので、開けて入ってゆく。
道は細いうえに傾斜がかなり急で落ち葉もかなり積もっている。歩くとズルズル滑る気分の悪い道だ💦
そんなところを結構登った先に、郭5が現れる。
 
左側のなで肩になった斜面から登って曲輪に入るのだが、大人しすぎて遺構なのか何なのか分からんわ…😮
それでも、祠の立つ周りには土塁らしいものも見える。
 
ここからの登りが、またキツイの何のって…💦
踏跡はほとんど見えず、相当急傾斜の尾根をまっすぐ登ってゆく💦
 
郭5のすぐ上に、めっちゃ浅い堀切…😅
 
この堀切の先が、また長い登り…
ズルズル滑りながら一歩一歩登ってゆく。
ストックがあれば楽なのかも知れないが、よけいなものを持ちたくないので滑らないよう足裏でフリクションを確かめながら登る。
登りなら、大概これで何とかなる…😅

登り詰めると郭4だが、その下にも堀切。

そして郭4。
堀切といい曲輪といい、隅のほうが大人しくなっていると言うか、もう全体が丸っこくなっている。

郭4の上はまた急な登りだが…
今度は、上の方に大きな岩がゴロゴロ転がっているのが見える😮

岩に登って越えるのはとても無理だったので、右から巻いてやり過ごした。
間近で見るとスゴイ迫力😮

ココを越えて尾根に戻ると郭3になる。
ごく浅いが虎口状が残る。

郭3は尾根のてっぺんを削平…したように見えない😮
両側が崩れてすっかり丸くなっている…

この郭3の先の方は…

またまた大岩がゴロゴロ…

そして、その先に堀切がある😮
この城内では一番ハッキリと残っている遺構か…

右側に見える尖った岩…

堀切を越えると、主格に向けて急登になる。
森の中の切岸って美しい…✨

この斜面を登りきれば主郭。

主郭からは、今登ってきた東尾根の他に、南と北に1本ずつ尾根が派生している。
南尾根は段郭が連続しているらしいが、斜面が急すぎて降りられそうにないので敬遠した😅
北尾根には堀切が1本あるらしいので、入ってみた。

わりと細い尾根だったが恐怖を感じるほどでもなく、降りてゆくと程なく堀切に行き着いた。
もうだいぶ大人しくなっている…

これ以上進んでも何もなさそうなので、撤収することにした。
この城については、平安末期から鎌倉初期にかけて安田義定が築城したほか、15世紀中頃に守護武田信昌と守護代跡部景家が夕狩沢で争い、敗れた景家が逃げ込んだと伝わっている。
その後も狼煙台などとして使われたかも知れないが、在地領主の主力が駐屯するには規模が小さいようだ。

 

★小田野城

山梨県山梨市牧丘町西保下

駐車スペースは普門寺に1台

山城

 

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(2021年12月25日 記)